カテゴリー: 管理・運営

  • データ処理のためにExcelと格闘した話と、経営陣への交渉

    前回の記事では、リストを作っただけの「仕組み化」が空回りし、本当の意味での環境設計の必要性に気づいたことを書きました。

    「自分の頭の中にある暗黙知を言語化し、きちんとした教育の仕組みを作ろう」。そう決意した私でしたが、すぐにプレイングマネージャーならではの壁にぶつかります。

    時間がない。

    当時の私は、他のスタッフと同様に朝から晩まで患者さんのリハビリに入る、いちプレイヤーでした。腰を据えてマニュアルを作ったり、マネジメントを深く考えたりする時間を確保するのは、現実的にかなり厳しい状況でした。

    そして、私がマネジメントに割く時間を生み出すには、現場の負担を分散させる新しいスタッフを採用するしかない。そう結論づけました。


    経営陣との「認識のギャップ」

    しかし、経営陣に相談しても、返ってくるのは「う〜ん、まあ増やせたらいいけどねぇ」という、なんとも消極的な反応でした。

    誤解のないように言っておきますが、当院の院長や理事長は医療に対して真摯に向き合っており、決して損得だけで物事を判断しているわけではありません。ただ単に、「将来的にどんなリハ科を作っていくか」というビジョンが、まだ共有されていなかっただけです。

    私自身も、明確なビジョンが先にあったわけではありません。現場は回っている。でも、もっと良くできるはずだ。その思いが先行していました。

    そんな状況に対して、「もっと良くしたいんです!」という熱意だけをぶつけても、響くはずがない。それはわかっていました。

    また、成果も出していないのに報酬を先に要求するのは、どうにも私の性分的に好きではありませんでした。


    「どうすれば通るか」を考え始めた

    では、どうすれば要望が通るか。

    感情でも、未来の約束でもない、何か具体的なものを持って話しに行かないと、また同じになる。そう思い、とりあえず数字を出してみようと考えました。

    リハ科が現状でどれだけの価値を生み出し、同時にどんな機会損失を出しているのか。それを数字として整理することにしました。

    一般的な単位数だけを出しても、経営的な説得力には欠けます。私が目をつけたのは、以下のような「隠れた実績と課題」でした。

    リハビリ来院に伴う再診料の推移。計画書算定数。スタッフの残業時間と稼働率のバランス。

    そして、もう一つの交渉材料が、以前スタッフに提示して空回りしたあの数字でした。


    視点を変えた「キャンセル率」の使い方

    以前の記事で、キャンセル率をスタッフに提示してプレッシャーをかけ、うまくいかなかった話を書きました。提示したこと自体が間違っていたとは今でも思っていません。ただ、この数字には別の使い道があった。

    当時の当院のドロップアウト率やキャンセル率は、決して低い数字ではありませんでした。私はこの事実を隠すのではなく、「ここを改善させられれば、もっと良くなる」という伸びしろとして、経営陣に提示しました。

    「ドロップアウト率を下げる教育の仕組みを作りたい。でも今の私にはその時間がない。人を増やしてマネジメントの時間を確保させてくれれば、この穴が塞がり、再診料も含めてこれだけの利益が上がります」


    慣れないExcelとの格闘

    このロジックを証明するために、私は慣れないExcelを開きました。

    どうすれば自動でドロップアウト率が計算できるか。「何人リハビリをしたか」がパッと見てわかる表をどう作るか。

    そもそも、誰かに頼むという発想自体がなかった。理学療法士という仕事柄、PCや表計算ソフトに慣れているわけではない。Excelの数式も、お世辞にも使いこなせているとは言えなかった。

    それでも、「こういうものが作れたら現場が見えやすくなる」というイメージだけはあった。そのイメージに向かって、ネットで調べ、試し、失敗し、また調べる。診療が終わった夜、その繰り返しでした。

    数式が思い通りに動いた瞬間、達成感があった。畑違いの分野で、調べながら何かを自分の力で作れた、という感覚に近いものだったと思います。

    思えば、この「患者管理のエクセルシート」こそが、私が現場に生み出した本質的な意味での最初の仕組み化でした。感覚ではなく、客観的な事実で現場を評価する土台が、皮肉にも経営陣への交渉準備という、わりと泥臭い動機から生まれました。


    交渉の結果

    この数字をもとに経営陣との交渉に臨み、結果として積極的に人数を増やす方向に向けて動き出す許可を得ることができました。

    このデータが効いたのか、それとも熱意が伝わったのか、実際のところはよくわかりませんが、結果として自分の望んだほうに進んでくれました。


    次の壁

    ホッとしたのも束の間、すぐに次の問いが立ちはだかりました。

    「人を増やす許可は出た。でも、どうやって当院の魅力を外部に伝え、人を集めればいいんだ?」

    次回は、スタッフの人数を増やすために直面した「理学療法士業界の常識」と、実習生や外部に向けて「当院の魅力」をどう作っていったのかについて書いてみたいと思います。

    皆さんは、上司や経営陣を説得するために、どんな工夫をした経験がありますか? よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • 最初の「仕組み化」で直面した理想と現実のギャップ

    前回の記事では、個人の意欲に頼るのをやめ、真の意味で仕組み化(環境設計)へと舵を切らなければならないと悟った日のことを書きました。

    今回は、その決意の直後に打った「最初の一手」と、そこから得た気づきについて書いてみたいと思います。


    最初の「仕組み化」

    「まずは、現場が動きやすい仕組みを作ってみよう」

    そう考えた私は、いくつかのツールを現場に投入しました。

    • 気まずい空き時間をなくすための「リハ科ToDoリスト」
    • 若手が迷わず学べるようにするための「学習チェックリスト」
    • 現場の不満や改善点を拾い上げるための「ご意見投書箱」

    これらを導入した時、私は「これで何かが変わってくれるかもしれない」と期待していました。

    やるべきことが可視化されれば、スタッフは自発的に動きやすくなるだろう。
    そんなふうに考えていたのです。

    しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。

    これらのツールは、見事に空回りしたのです。


    ToDoリストが生んだ不公平感

    月間のToDoリストのタスクは、結局いつも特定の頑張るスタッフだけが消化し、不公平感を生みました。

    空き時間にやるはずのToDoは、「具体的なやり方がわからない」と放置され、結局私が説明に回らなければ進みませんでした。

    ご意見箱には、1枚の紙も入ることはありませんでした。

    責任者になったばかりの頃の私なら、「なぜやってくれないんだ」と裏切られたような気持ちになり、絶望していたかもしれません。

    しかし、この時期の私は少し違いました。

    不公平な負担を背負わせてしまった頑張るスタッフに対しては「本当に申し訳ない」と痛感しつつ、意図通りに動けないスタッフに対しては「まあ、しょうがないよね」という諦め半分のドライな気持ちもありました。

    今までうまくいかない原因を「外(スタッフ)」に求めていた状態から、徐々に「自分」に見出すようになり、自分と他者とのギャップをすり合わせようとしていた過渡期だったのだと思います。


    「伝わっているつもり」という錯覚

    「自分ならこのリストを見ればパッと動ける。でも、ああ、これだけの情報じゃうまく伝わらないのね」

    前提知識の量も、制度への理解度も全く違うのに、ただリストを投げただけで動けるはずがなかったのです。

    そして、この「他者とのギャップ」を最も痛感したのが、「学習チェックリスト」でした。


    チェックリストは埋まるのに、理解は深まらない

    当時の私は、「〇〇について調べる」「〇〇ができる」という項目をリスト化して渡せば、若手は学んでいくと思っていました。

    実際、彼らはリストに次々と「チェック(レ点)」をつけていきました。

    しかし、チェックがついているのを見て知識の確認をしてみると、違和感を覚えました。

    答えが、たどたどしいのです。

    こちらの意図している到達点には全く達しておらず、ディスカッションをしていても知識が表面的で、ネットの情報を一つ丸写ししたような状態でした。

    そこから「もう少し深い知識を探してみよう」と促しても、彼らはポカンとしています。

    そもそも、「自分が何を理解できていないのか」がわかっていない感じだったのです。


    「知識」ではなく「メタ認知」の問題だった

    その時、ハッとしました。

    「あぁ、これは知識の問題じゃない。
    メタ認知の問題か!

    私自身が若手の頃は、わからないことがあれば泥臭く手当たり次第に調べ、何冊もの専門書を読み比べて知識を繋ぎ合わせてきました。

    しかし今は、検索すれば数秒で「答え」が手に入る時代です。

    「調べる」という行為自体が変容している現代において、ただ「項目」を羅列したリストなど、何の意味も持ちませんでした。

    「今の時代なら、そりゃそうなるか。これじゃダメだ、もっと詳しいロードマップを敷かなきゃな」

    私は冷静にそう分析しました。

    悪いのは彼らではありません。

    真の意味で優れた治療者の実力は、泥臭い経験から得た「暗黙知」にあるのかもしれません。

    しかし、それをそのまま初学者に求めるのは、あまりにもハードルが高すぎました。


    「仕組み」として必要だったもの

    私が本当に用意すべきだったのは、リストではありません。

    • なぜその業務・学習が必要なのかという「理由(Why)」
    • それを誰でも迷わず進められる「マニュアル(How)」
    • それに沿って進めれば自然と体系的な知識とメタ認知が身につく「ガイドライン(道筋)」

    ツールを作るだけでは、人は動きません。

    「制度の理由」と「具体的な方法論」がセットになって初めて、それは「仕組み」として機能する。

    やってみて、うまくいかなかったからこそ分かったギャップでした。


    プレイングマネージャーという壁

    ここから私は、自分の頭の中にある「暗黙知」を言語化し、本当の意味での環境設計(マニュアル作り等)という泥臭い作業に足を踏み入れていく……はずでした。

    しかし、ここでプレイングマネージャーとしての「最大の壁」に激突します。

    それは、

    「仕組みを作りたいが、目の前の臨床に追われて時間が全くない」

    という物理的な壁です。

    時間を作るには、スタッフを増やすしかない。

    しかし経営陣から見れば、現状でも業務は回っており「人は足りている」という認識です。

    当時の私は、自分自身のビジョンすら明確ではなく、「とにかく今のままじゃダメだ」という焦りだけで走っていました。

    当然、そんなフワッとした熱意だけをぶつけても、経営陣が人を増やしてくれるわけがありません。


    「だったら、彼らが納得する“武器”を使って、私の思い通りに動かしてやろう」

    次回は、時間と人を勝ち取るために、私が打算的に用意した
    「泥臭いデータ集め」について書いてみたいと思います。


    皆さんは、良かれと思って作った「リスト」や「ルール」が、現場でうまく機能しなかった経験はありますか?
    よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • 正論で組織は壊れる。私が気づいた「環境設計」の必要性

    前回の記事では、キャンセルに対する私個人の「ざわつき」と、当時の私がマネジメントを全く理解しておらず「スタッフの熱意」に依存していたことについて書きました。

    今回は、その熱意への依存が現場にどんな影響がでていたか。当時の失敗談を書いてみたいと思います。


    キャンセルの扱い方

    当時の私は、キャンセルという避けられない現実に対して、自分なりに「ロジック」を持っていました。 具体的には、以下の3つのステップでリハ科の成長と個人の成長ができると本気で信じていたのです。

    ① まずは現実を「数値(キャンセル率)」として客観的に捉える。

    ② 数字を見ることで「天気のせいだから仕方ない」で終わらせず、改善策をスタッフ自身に「考えてもらう」。

    ③ キャンセルで生まれた「40分の空き時間」を使って、その改善アクションを実行してもらう。

    これが回れば、スタッフ個人の成長にも繋がり、結果としてリハ科のため、病院のためになる。 「これこそが理想のリハ科運営だ!」と、当時の私は考えていました。

    しかし、今なら痛いほどわかります。 この「ぐうの音も出ない正論」こそが、スタッフを最も追い詰め、現場を息苦しくさせていた原因だったということに。


    数字が生み出した圧力

    管理者からすれば、数値を客観的に見ることは当たり前のステップです。 しかし、現場のスタッフからすればどうでしょうか。 ただでさえ「自分の腕が悪いからキャンセルされたのでは」と心をざわつかせているところに、「今月のあなたのキャンセル率は〇%です」と数字を突きつけられる。 それは、「あなたのせいで病院にこれだけ損失が出ている」という無言の圧力に他なりませんでした。

    そして、私は最も残酷な言葉をかけていました。 「空いた時間で、リハ科や病院のためにできるアクションをしてほしい」と。

    一見、スタッフの自主性を重んじているように聞こえます。 しかし実態は、マネジメントの放棄(丸投げ)でした。

    スタッフにしてみれば、どうすればキャンセルが減るかなんて、個人の内省だけで答えが出るはずがありません。 息つく暇もない日々の診療の中で、ぽっかり空いたキャンセルの時間すら、「病院のために何かを生み出せ」と強要されているように感じていたのかもしれません。


    スタッフに生じた変化

    結果として、スタッフルームには「二極化」が生じていきました。

    一方は、上昇志向を持ち、病院のため、自分のためにと時間を惜しまず頑張るスタッフ。 そしてもう一方は、そんな彼らの熱量に対して引け目を感じ、「居づらさ」を誤魔化すために忙しくないのにPCを叩くフリをするスタッフです。

    前者の「もっと頑張ろうよ」という無言の圧力が、後者をさらに萎縮させる。

    実は、私はこの「二極化」や「同調圧力」による働きづらさが生じることは、最初からある程度想定していました。 だからこそ、モチベーションの高いスタッフに対しても、「どんなスタンスの人間でも働きやすい職場を目指している」という私の理想を、言葉でしっかりと説明していたつもりだったのです。

    しかし、現実は甘くありませんでした。 医療従事者が何年もかけて培ってきた「プロ意識」や「責任感」は、管理者の言葉による説明くらいで簡単にコントロールできるものではありませんでした。 私自身が過去そうであったように、後輩たちもまた「休むこと」や「割り切ること」をうまく受容できず、苦しんでいました。

    「言葉で説明したから分かってくれるだろう」というのは、私の傲慢でした。 考慮していても、うまく対処できない。現場の同調圧力や固定概念を変えることの難しさを、私は痛感していました。


    突きつけられた欠陥

    そんな中で、私のこの「甘え」と「正論の暴力」が引き起こした、決定的な出来事があったのです。

    当時、教育の一環として、空き時間が出た若手には先輩スタッフの治療に「同行見学」をしてもらっていました。 ある日の夕方、同行された先輩スタッフは時間内に仕事を終え、定時でサクッと帰宅しました。しかし、ただ同行しただけの若手スタッフが、本来なら必要のない「見学のまとめレポート」を書くために「残業」をしていたのです。

    単位を取得して利益を生んだ先輩が定時で帰り、勉強させてもらった後輩が残業代をもらっている。 当時の私は、この光景に強い違和感と怒りを覚え、後輩を問い詰めてしまいました。

    「自己研鑽と業務を混同するのはどうなのか?」 「給料をもらうプロとしての心構えとして、それはおかしいんじゃないか?」

    私からすれば、当然の「正論」でした。 しかし、後輩から返ってきたのは、予想もしていない言葉でした。

    「……そんな視点では、考えもしませんでした」

    悪びれるわけでもなく、ただ本当にキョトンとしていました。彼にとっては「同行するように言われたから行き、そのまとめを書いていただけ」なのです。

    この瞬間、私は言葉がでないほどの衝撃を受けました。 そして同時に、猛烈に恥ずかしくなりました。

    悪いのは「プロ意識がない後輩」ではない。 「これは自己研鑽だから業務時間内(または残業)にはやらない」という明確なルールを作らず、ただ現場に放り込み、予想外の行動をとられた途端に「プロ意識」という思想の暴力で殴りつけた「私自身のマネジメントの欠陥」だったのです。


    気づかされた未熟さ

    「どんなスタンスでも働きやすい職場を」と口では言いながら、私自身が一番「プロならこう考えるべきだ」「給料をもらうならこうあるべきだ」という、古い固定概念に深く縛り付けられていました。 ルールがない世界では、見えている景色が人によって全く違う。それなのに、自分の固定概念を押し付けていたのだから、組織が回るはずがありません。

    「ちゃんと見ているよ」という甘え。 「言葉で説明すれば分かるはずだ」という思い上がり。 そして、「プロとして考えてほしい」という正論の暴力。

    本当に「個人の意欲や思想」に頼るのをやめ、真の意味で「環境設計(仕組み化)」へと舵を切らなければならない。 私が心の底からそう悟り、もがき始めたのは、この出来事がきっかけでした。


    ここから、あの「気まずい40分」という環境を、具体的にどう解体し、仕組み化していったのか。 次回は、その「最初の一歩」について整理してみたいと思います。

    皆さんは、自分の「当たり前」や「正論」で、スタッフを追い詰めてしまった経験はありますか? よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • キャンセルを、どう受け止めるか

    キャンセルは、ある意味では仕方のないものだと思っている。

    天候が悪ければ外出は難しくなる。
    感染症が流行していれば体調不良の方も増える。
    仕事や家庭の事情もある。

    サービス業とは違い、
    病院は「売上のために来てください」とは言えない。
    キャンセル料を請求するわけにもいかない。

    構造的に見れば、キャンセルが発生するのは当然だ。
    頭ではそう理解している。

    それでも。

    キャンセルが入ると、心が少しざわつく。

    空き時間ができるからでもない。
    病院の利益が下がるからでもない。
    もっと個人的な感情だ。

    「選ばれなかったのではないか」

    そんな感覚がどこかにある。

    もし自分の技術がもっと優れていたら。
    もし患者さんが「良くなっている」という実感を持てていたら。

    他の予定があっても、
    雨が降っていても、
    「それでも行きたい」と思ってもらえたのではないか。

    このリハビリの時間を、
    単なる予定のひとつではなく、
    「貴重なもの」として捉えてもらえたのではないか。

    そんなことを考えてしまう。

    同時に別の気持ちもある。

    「今日は天気が悪いから仕方ない」
    「流行期だから仕方ない」

    そうやって深く考えないようにしたくなる自分もいる。
    そうやって自分の心を守らなければならない時もあることも理解している。

    自責と、甘え。
    その境界線は、思っているよりも曖昧だ。

    キャンセルは、単なる予定の変更ではない。
    自分にとっては、理学療法士としての価値を無意識に測ってしまう出来事でもある。

    もちろん、
    キャンセルが多いことが腕の悪さを意味するわけではない。
    患者背景や疾患特性、社会的要因もある。
    それに、何より患者さんには無理をしてほしくない。安全第一で休んでいただくべき日も当然ある。

    それでも、

    「患者をよくする」
    「理学療法の質を高める」

    という自分の理想を追い続ける限り、
    この問いから目を背けることはできない。

    正直に言えば、自分はまだ満足していない。
    臨床も、
    管理も、
    運営も。

    尊敬できる治療者や先生方を見てきたからこそ、
    まだできることがあると感じている。
    キャンセルという現実も、その「伸びしろ」の一部なのかもしれない。

    キャンセルを責めたいわけではない。
    ただ、この出来事をどう受け止めるか。
    それは、一人の臨床家としての自分の姿勢の問題なのだと思う。

    ……正直に告白すれば、当時の私はまだマネジメントの「マ」の字も分かっていなかった。

    「リハビリの質の向上=個人の成長意欲や内省の深さ」だと信じて疑わず、キャンセルで空いた40分の時間すらも、「スタッフの熱意」でどうにか有意義に使ってほしいと願ってしまっていた。

    今振り返れば、それはどこか「支配」に近いものであり、管理者としての未熟さ、そして甘えだったのだと思う。
    しかし、当時はそのことに気づけず、試行錯誤と空回りを繰り返していた。

    だからこそ、次回からは少し時計の針を進めてみたい。

    この「キャンセルへの個人的なざわつき」や「熱意への依存」を抱えていた私が、いかにして失敗し、もがき、そこから「個人の問題ではなく、組織の仕組みの問題」へと視点を切り替えていったのか。

    決して綺麗な成功談ではない。

    数字やキャンセルという事実は、時に人を傷つける刃にもなる。
    けれど、もがきながら見方を変えれば、組織が変わるためのヒントにもなる。

    そのあいだで、私は何を間違え、何を学び、どう視点を変えていったのか。

    引き続き、お付き合いいただければうれしいです。


    皆さんは、キャンセルに心がざわついた経験、ありますか?
    よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • 迷いながら、それでも数字で現実を直視した理由

    業務効率化によって時間をつくり、
    日報や患者管理の方法を見直しました。

    すると、これまで感覚的にしか意識していなかった情報が、
    少しずつ「数字」として集まるようになりました。

    正直に言えば——
    ここまではっきりと「現実」が見えるようになるとは思っていませんでした。

    数字は便利です。
    同時に、残酷でもあります。

    特に私の心を止めたのは、
    キャンセル数とキャンセル率でした。


    外来リハビリにおける「キャンセル」という現実

    当院の外来リハビリは予約制です。
    その日に来院される患者さんは、事前にすべて決まっています。

    理学療法士が1日に対応できる単位数には上限があり、
    キャンセルを見越して多めに予約を入れることはできません。

    入院とは違い、
    急に時間が空いたから別の患者さんを診る、ということもできない。

    つまり外来リハビリでは、

    キャンセル = そのまま時間と単位のロス

    になります。

    本来であればリハビリを行うはずだった時間に、
    突然ぽっかりと空白が生まれる。

    その空白が、
    雇用されている立場として、
    給料をいただいている立場として、
    どういう意味を持つのか。

    数字として可視化されたことで、
    その現実が、はっきりと目の前に現れました。


    数字を出すことへの葛藤

    正直、迷いはありました。

    スタッフが萎縮してしまうのではないか。
    モチベーションを下げてしまうのではないか。
    経営側に悪印象を与えてしまうのではないか。

    実際、そうしたリスクは十分に考えられました。

    院長からも、

    「まあまあ、みんな頑張っているんだから、
    そんなに心配しなくてもいいんじゃないの?」

    というニュアンスの言葉をかけられました。

    確かに、
    数値上は大きな問題があるわけではない。
    診療時間中、スタッフはみな必死にリハビリをしている。

    それは紛れもない事実です。

    数字を出すことが、
    誰かを責める材料になるのではないか。

    そんな不安もありました。


    それでも、見ないままにはできなかった

    それでも私は、
    この数字から目を背けることができませんでした。

    単位制という仕組みの中では、
    どれだけ準備し、考え、工夫していても、
    その努力が数字として表れることはほとんどありません。

    質が高くても、低くても、単位は同じ。

    これは、避けられない現実です。

    だからこそ——
    何も見えないままでいいとは思えなかった。

    数字ですべてを評価できるとは思っていません。
    むしろ、数字だけで評価してはいけないとも思っています。

    けれど、客観的な評価ができない状態では、
    話し合うこともできず、改善を試みることすらできない。

    少なくとも、
    現状を客観的な指標として認識することは必要だと感じました。

    数字は評価のためではなく、
    対話のために使うものだと、考えました。


    管理者としての正解かは、今もわからない

    この選択が、
    管理者として正しかったのかどうか。

    今でも正直わかりません。

    スタッフの働きやすさだけを考えれば、
    厳しい現実をあえて見せない、という選択もあったはずです。

    でもそのときの私は、
    管理者としてというよりも、
    一人の理学療法士として、

    「リハビリの質を高めたい」
    「高め続ける組織でありたい」

    という気持ちを捨てきれませんでした。

    だからこそ、
    あえて数字として現実を直視する道を選びました。

    それが、
    私たちリハビリテーション科が
    これから何を改善すべきなのかを考えるための
    出発点になると信じたからです。


    次回

    次回は、
    「キャンセル」という数字をどう受け止めるべきかについて書こうと思います。

    それは管理のための数字なのか、
    それとも臨床の質を考えるための数字なのか。

    管理者として、
    そして理学療法士としての葛藤を含めて、
    正直に残していきたいと思います。

  • 時間がなければ、何も変えられないと思った ― 管理職としての最初の整理

    育成を業務として位置づけたい。
    そう考えるようになったとき、最初に突き当たった壁は、とても単純でした。

    時間がない。

    リハビリテーション科全体として育成の時間を確保するには、
    まず管理者である自分自身が、時間をつくらなければならない。
    そう思う一方で、現実は簡単ではありませんでした。

    変えたい。
    でも、変えるための時間がない。
    そして、時間がなければ、今までと同じやり方を続けるしかない。

    この矛盾の中で、しばらく足踏みしていた感覚があります。


    当初の自分の立ち位置

    当時の自分は、
    「理学療法士として患者をみること」を軸にしながら、

    • 単位の取得
    • スタッフ育成
    • リハ科としての方向性の検討

    を同時にやろうとしていました。

    管理者としての業務もありましたが、その実態は、

    • 月間単位数・新規患者数の集計
    • 計画書などの取り逃し確認
    • シフト作成、残業管理
    • 他科からの問い合わせ対応

    今振り返ると、「マネジメント」というより、
    臨床業務に雑務が付け足されていっただけの状態だったと思います。

    管理者として機能していたかと言われれば、正直、全くできていませんでした。


    時間を生み出すには、やり方を変えるしかなかった

    当時の日報管理は、紙ベースが中心でした。
    最後まで残っていたスタッフが、その日の単位数や人数を手入力する。

    把握できるのは、

    • その日の個人・全体の人数
    • 単位数

    それだけ。

    新規患者数の推移、キャンセルの状況、継続率など、
    「リハ科として何が起きているのか」を考えるための情報は、ほとんど見えていませんでした。

    この状態では、

    • 業務効率化の必要性
    • 育成に時間を割く意義

    を、感覚では語れても、根拠をもって示すことができない

    管理者として役割を果たすには、
    まず「考えるための材料」を揃える必要がある。
    そう考えるようになりました。


    最初に手をつけたのは、日報の見直し

    まず行ったのは、日報の変更でした。

    • 各自が入力する形式に変更
    • 入力項目を
      • 単位数
      • 人数
      • 新規患者数
      • キャンセル数

    に整理

    これだけで、

    • 新規患者数の推移
    • キャンセル数・キャンセル率
    • 個人・全体の単位数

    を、自動で数値化できるようになりました。

    最初から高度なことができたわけではありません。
    できることは限られていましたが、
    毎月、個人と全体のデータを数値やグラフで提示するようにしました。

    すると、
    「忙しい」「時間がない」という感覚的な話が、
    少しずつ具体的な話に変わっていきました。


    管理者として、自分の働き方を変えるしかなかった

    管理者として「時間がない」と言い続けるだけでは、
    結局、何も変わらない。

    そう気づいたとき、
    まず変えるべきは、環境でもスタッフでもなく、
    自分自身の働き方だったのだと思います。

    育成を業務に組み込むためには、
    まず考える時間をつくること。
    そのために、業務のやり方を見直すこと。

    この一歩がなければ、
    どんな理想を語っても、前には進めなかったと思っています。


    次回は、
    業務効率化の一環として数字を出すようになったことで、
    初めて見えてきた「キャンセル」という現実について書こうと思います。

    見えなくてもよかったのではないか、
    見せることで誰かを傷つけてしまうのではないか。

    そんな葛藤を抱えながら、それでも数字と向き合う必要があると感じた理由を、正直に残します。


    もし、
    「時間がない」「変えたいけど変えられない」
    そんなジレンマを抱えている方がいたら、
    同じ場所で悩んでいる人間が、ここにもいると伝われば嬉しいです。

  • 業務時間内で人を育てるために、まず「時間」と向き合った話

    「みんな頑張っているから、大丈夫なんじゃない?」

    育成の重要性について院長に相談したとき、
    返ってきた言葉は、こんなニュアンスでした。

    「まあまあ、みんな頑張っているんだから、
    そんなに心配しなくてもいいんじゃないの?」

    決して否定されたわけではありません。
    むしろ、私の肩の力を抜こうとしてくれた言葉だったと思います。

    確かに、数値上は悪くありませんでした。

    外来リハビリの現場では、患者さんが次から次へと来院し、
    診療時間中はほとんど休む間もなく対応しています。

    診療時間外には、
    カルテ記載、書類作成、カンファレンスなど業務は多岐にわたり、
    スタッフは皆、忙しく働いていました。

    数か月に一度、昼の空き時間を使って勉強するのがやっと。
    そんな現場の状況を考えると、

    「今と同じ数字を維持したまま、
    指導や育成を“業務として”行ってほしい」

    そう簡単に言える話ではない、
    ということも頭では理解できていました。


    それでも残った違和感

    スタッフが頑張っていないわけではありません。
    やる気がないわけでもない。

    理学療法士として成長したい。
    患者さんを良くしたい。
    その気持ちは、誰もが持っていると信じています。

    ただ、問題はそこではありませんでした。

    それが、
    プライベートと天秤にかけられたとき、
    どちらに傾いてしまうか。

    やる気や意欲の問題ではなく、
    「時間という余白」がないこと。

    このままでは、
    頑張っている人ほど疲弊し、
    育成は個人の善意に依存し続けてしまう。

    そんな違和感だけが、
    私の中に残りました。


    育成の前に、まず時間が必要だった

    正直に言えば、
    「育成の話をする前に、
    こんなところから考えなければならないのか」
    という無力感もありました。

    それでも、
    育成を「業務」として位置づけたいのであれば、
    まずは時間を作ることが最優先だと考えました。

    数字(単位)を落とさずに、
    どうやって時間を捻出するのか。

    そこで最初に取り組んだのが、
    業務効率化でした。


    すべてがうまくいっているわけではない

    現在は、研鑽を業務の一部として組み込んでいます。
    ただし、それがすべて良い面ばかりかというと、
    決してそうではありません。

    • 「やってもらって当たり前」
    • 「与えられて当然」

    そんな受け取られ方をしてしまう場面も、
    正直あります。

    それでも、
    個人の自己犠牲の上に成り立つ育成より、
    組織として支える形を模索する方が、
    今の時代には必要だと考えています。


    次回は、
    具体的にどのように業務効率化を進め、
    時間を作っていったのか
    について、書いていこうと思います。

  • 「そこまで勉強しようと思っていません」――後輩の一言で揺らいだ価値観

    「そこまで勉強しようと思っていません」

    ある日、後輩との定期面談の中で忘れられない言葉を聞きました。

    「○○さん(私)ほど、勉強しようとは思っていません。
    研修会にも、正直あまり行こうとは思っていないです。」

    一瞬、言葉が出ませんでした。


    当たり前だと思っていた前提

    理学療法士という仕事は、目の前の相手だけでなく、そのご家族の人生にまで影響を与える仕事だと思っています。

    だからこそ、

    • 自分の時間を使って勉強すること
    • お金をかけてでも知識や技術を磨くこと

    それは「向き・不向き」や「熱意」の問題ではなく、
    プロとしての最低限の責任だと、疑いなく思っていました。


    否定されたのは、価値観そのものだった

    その後輩の言葉は、決して投げやりでも、反抗的でもありませんでした。

    だからこそ、
    「考え方の違い」というよりも、
    自分が当たり前としてきた前提や価値観そのものを突きつけられたように感じました。

    以前から、努力している様子が見られなかったり、
    時間やお金をかけて学ぶこと自体を「無駄だ」と捉えているような言動をする人がいることもわかっていました。

    それでも、その後輩に対しては、
    将来この職場を離れることがあったとしても困らないように、
    少しでも良い治療者になってほしい、
    そして、一人の社会人として外に出ても恥ずかしくない人に育ってほしい、
    そんな思いで関わってきたつもりです。

    自分なりに目をかけ、
    理学療法士という仕事に対する思いや、
    臨床に向き合う姿勢についても、できる限り伝えてきたつもりでした。


    同じ時間、同じ価値になる現実

    新人でも、20年目のベテランでも、
    同じ時間リハビリを行えば、保険診療上の評価は同じです。

    経験が浅く未熟なうちは、
    「少しでもすごい理学療法士に追いつかなければならない」
    そう思って努力する責任があると考えていました。

    でも裏を返せば、
    どれだけ自己犠牲を払って努力しても、
    評価上は、努力していない人と同じ価値になってしまう。

    その現実に気づいてから、
    自分が頑張り続ける理由は、いつの間にか
    「患者さんが良くなって、喜んでくれること」
    それだけになっていました。


    自分一人なら、それでもよかった

    もし自分一人だけなら、それでも続けられたかもしれません。

    しかし、同じように頑張っている先輩や同僚、後輩たちを見ていると、
    「努力しても報われない制度や構造」そのものに、
    やるせなさや不満を感じるようになりました。


    管理職として突きつけられた問い

    後輩の一言は、
    「その考えは間違っている」と言われたわけではありません。

    でも、
    「それはあなたの価値観ですよね」
    そう突きつけられた気がしました。

    管理職として、
    この違いを「個人の問題」として片づけていいのか。
    それとも、組織として向き合うべき問題なのか。


    まだ答えは出ていない

    正直に言えば、
    この問いに対する明確な答えは、今も出ていません。

    考えたことは、
    「個人の努力」にだけ依存した組織運営には限界がある
    ということでした。

    次回は、この経験をきっかけに、
    私が「業務時間内でのスタッフ育成」に舵を切った理由について書こうと思います。

    皆さんの職場では、スタッフ間の「研鑽に対する熱量の差」にどう向き合っていますか? もしよければ、皆さんの体験や考えを教えていただけると嬉しいです。

  • 理学療法士14年目。管理職として「同じではだめだ」と気づいた理由

    管理職という立場になって、7年が経ちました。

    今振り返ると、最初の数年は「右も左もわからない」という言葉がぴったりだったと思います。
    肩書きは管理職でも、中身はこれまで通りの臨床家の自分のまま。

    目の前の患者さんに全力で向き合う。
    後輩には背中で語る。
    自分が誰よりも勉強し、誰よりも努力する。

    それが正解だと、疑っていませんでした。


    臨床家としての在り方

    誤解のないように書いておくと、患者さんに向き合う気持ちは、今もまったく変わっていません。
    理学療法士という仕事は、本人だけでなく、時にはご家族の人生にも影響を与える仕事だと思っています。

    だからこそ、自分の時間やお金を使って勉強し、知識や技術を磨き続ける。
    それは「プロとしての当たり前の責任」だと、ずっと思ってきました。


    募っていく焦りと、組織への問い

    しかし数年が経ち、責任者として組織に向き合う時間が増えるにつれ、次第に「焦り」や「悩み」が胸を占めるようになりました。

    「リハビリテーション科のため、病院のためにと必死に頑張っているのに、なぜこれほどまでにうまくいかないのか」
    「自分の想いは、なぜこれほどまでにスタッフに伝わらないのか」

    そんな問いが、頭から離れなくなりました。

    個人としての正解を追求し、組織のために良かれと思って行動すればするほど、現場との温度差は広がり、組織としての歯車が噛み合わなくなっていく。

    同じ理学療法士として志を同じくする同僚もいましたが、立場が変わるにつれて、かつてのように手放しで共感し合える場面は減っていきました。

    自分だけが空回りしているような感覚。
    そして、そんな状況に対して苛立ち、やり場のない不満を抱えてしまう自分。

    孤独を感じることも、少なくありませんでした。

    そして何より私を不安にさせたのは、
    「この先、自分は同僚や後輩たちと、同じ熱量・同じ気持ちで仕事を続けていけるのだろうか」
    という、根源的な問いでした。


    理想と現実のあいだで

    自分自身が立派な臨床家としての姿勢を見せなければ、後輩たちは育たない。
    そう信じていましたし、今でもその思い自体は間違っていないと思っています。

    ただ、
    ・社会の価値観の変化
    ・多様性を尊重する流れ
    ・実習指導を取り巻く環境の変化

    そうした中で、「すべてが自分の理想通りにはいかない」という現実が、少しずつ見えてきました。


    「同じではだめだ」と思い始めたここ数年

    ここ数年で、ようやく思うようになりました。

    一人の理学療法士として頑張ることと、
    リハビリテーション科の責任者として考えることは、
    同じではだめなんだ、と。

    これまでの自分は、良かれと思って「自分の理想や価値観」を周囲に押し付けていただけだったのではないか。
    組織としての成長を考え、スタッフ一人ひとりが持つ異なる価値観や背景を、果たして尊重できていただろうか。

    そんな問いを、自分自身に投げかけるようになりました。

    自分の理想を貫くだけでは、
    組織も、スタッフも、そして自分自身も守れない。

    この気づきは、正直に言えば、かなり遅かったと思います。


    このブログで書いていきたいこと

    このブログでは、次のようなことを正直に書いていきたいと思っています。

    • 整形外科クリニックでの運営・管理
    • 管理職としての悩みや失敗
    • スタッフ育成や実習指導で考えてきたこと

    そして何より、
    「まだ学んでいる途中の管理職理学療法士」としての視点を大切にしたい。

    答えを提示するブログではありません。
    模索している過程そのものを残すブログです。


    おわりに

    もし、臨床とマネジメントの間で揺れている方がいたら、
    「一人じゃない」と思ってもらえるだけで十分です。

    次回は、ある後輩との面談で、私の価値観が大きく揺さぶられた出来事について書こうと思います。

    よろしければ、皆さんの現場での葛藤などもコメントで教えていただけると嬉しいです。
    一緒に考えていけたらと思っています。