「そこまで勉強しようと思っていません」
ある日、後輩との定期面談の中で忘れられない言葉を聞きました。
「○○さん(私)ほど、勉強しようとは思っていません。
研修会にも、正直あまり行こうとは思っていないです。」
一瞬、言葉が出ませんでした。
当たり前だと思っていた前提
理学療法士という仕事は、目の前の相手だけでなく、そのご家族の人生にまで影響を与える仕事だと思っています。
だからこそ、
- 自分の時間を使って勉強すること
- お金をかけてでも知識や技術を磨くこと
それは「向き・不向き」や「熱意」の問題ではなく、
プロとしての最低限の責任だと、疑いなく思っていました。
否定されたのは、価値観そのものだった
その後輩の言葉は、決して投げやりでも、反抗的でもありませんでした。
だからこそ、
「考え方の違い」というよりも、
自分が当たり前としてきた前提や価値観そのものを突きつけられたように感じました。
以前から、努力している様子が見られなかったり、
時間やお金をかけて学ぶこと自体を「無駄だ」と捉えているような言動をする人がいることもわかっていました。
それでも、その後輩に対しては、
将来この職場を離れることがあったとしても困らないように、
少しでも良い治療者になってほしい、
そして、一人の社会人として外に出ても恥ずかしくない人に育ってほしい、
そんな思いで関わってきたつもりです。
自分なりに目をかけ、
理学療法士という仕事に対する思いや、
臨床に向き合う姿勢についても、できる限り伝えてきたつもりでした。
同じ時間、同じ価値になる現実
新人でも、20年目のベテランでも、
同じ時間リハビリを行えば、保険診療上の評価は同じです。
経験が浅く未熟なうちは、
「少しでもすごい理学療法士に追いつかなければならない」
そう思って努力する責任があると考えていました。
でも裏を返せば、
どれだけ自己犠牲を払って努力しても、
評価上は、努力していない人と同じ価値になってしまう。
その現実に気づいてから、
自分が頑張り続ける理由は、いつの間にか
「患者さんが良くなって、喜んでくれること」
それだけになっていました。
自分一人なら、それでもよかった
もし自分一人だけなら、それでも続けられたかもしれません。
しかし、同じように頑張っている先輩や同僚、後輩たちを見ていると、
「努力しても報われない制度や構造」そのものに、
やるせなさや不満を感じるようになりました。
管理職として突きつけられた問い
後輩の一言は、
「その考えは間違っている」と言われたわけではありません。
でも、
「それはあなたの価値観ですよね」
そう突きつけられた気がしました。
管理職として、
この違いを「個人の問題」として片づけていいのか。
それとも、組織として向き合うべき問題なのか。
まだ答えは出ていない
正直に言えば、
この問いに対する明確な答えは、今も出ていません。
考えたことは、
「個人の努力」にだけ依存した組織運営には限界がある
ということでした。
次回は、この経験をきっかけに、
私が「業務時間内でのスタッフ育成」に舵を切った理由について書こうと思います。
皆さんの職場では、スタッフ間の「研鑽に対する熱量の差」にどう向き合っていますか? もしよければ、皆さんの体験や考えを教えていただけると嬉しいです。
コメントを残す