カテゴリー: 管理・運営

  • マネジメントを学んでよかったこと——理学療法士としての遠回りに気づいた話


    このブログでは現在、管理職になってからの試行錯誤を連載として書いています。この記事では、その過程で学んできたことを少し先取りして共有したいと思います。


    「マネジメント」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

    管理職のためのもの。経営の話。自分には関係ない。

    正直、私もそう思っていました。

    理学療法士として現場に立ち、患者さんと向き合うことが自分の仕事であり、マネジメントなんて別世界の話だと。

    しかし今は、もっと早く学んでおけばよかったと思っています。


    うまくいかなかった時代

    管理職になる前から、後輩指導や学生指導には関わっていました。

    当時の自分には、理想がありました。信念がありました。「理学療法士とはこうあるべきだ」という、自分の中での常識がありました。

    そして、それを無意識のうちに他者にも求めていました。

    理学療法士として患者さんに接するのだから、自分の時間やお金を使ってでも学ぶのは当然だと思っていました。それは後輩に対しても同じで、そうした方が絶対に本人のためになると信じていました。

    でも、思うようにはいきませんでした。

    うまくいかないと、相手の能力ややる気のせいにしてしまっていました。「なぜわからないのか」「なぜやらないのか」と。

    今思えば、それは指導ではなく、ただの押し付けでした。


    疲弊と諦念

    そのうち、熱意を持って指導することに疲れていきました。

    リハ科のために、後輩のために、と思って関わっていたはずなのに、いつの間にか「まあ、しょうがないか」という諦めに変わっていました。

    相手に期待することをやめる。そうすれば、自分が傷つかなくて済む。

    そんな防衛的な気持ちが、どこかにあったと思います。

    でも、心の奥には葛藤がくすぶり続けていました。本当にこれでいいのか、と。


    学び始めてからの気づき

    管理者という立場になり、今までのやり方ではだめだと漠然と感じるようになってから、必要に迫られて情報を集めるようになりました。マネジメントを学ぼうと思って始めたわけではありません。ただ、試行錯誤する中で、自然とそういった知識が入ってくるようになりました。

    そこで気づいたのは、意外なことでした。

    自分のやり方が間違っていた部分もあった。でも、それは能力や人格の問題ではなかった。

    価値観や環境の違いを理解していなかった。明確なシステムがなかった。心理的な要因や、学習の仕組みについて知らなかった。

    知識や視点が足りなかっただけだった。そう気づいたとき、少し気持ちが楽になりました。

    当時の自分には、その視点がまったくありませんでした。

    「あのときの自分は、ここがだめだったのか」

    理論を学ぶことで、過去の失敗に対する「答え合わせ」ができました。感覚でやっていたことに、ようやく言葉がついた感覚でした。


    理学療法とマネジメントは同じ構造だった

    学んでいくうちに、もう一つ気づいたことがあります。

    マネジメントの思考過程は、理学療法の思考過程と本質的には同じ構造を持っているということです。

    理学療法では、「評価→問題点抽出→アプローチ→再評価」という流れで患者さんに関わります。

    マネジメントも同じです。現状を把握し、問題点を特定し、環境やシステムを調整し、結果を振り返る。

    対象が「患者さんの身体」から「組織」や「人」に変わるだけで、本質的な構造は同じでした。

    そう考えると、理学療法士はすでにマネジメントの基礎スキルを持っているのではないか。そんなふうに思うようになりました。


    基礎知識がないまま指導してきた

    理学療法を行う上では解剖学や生理学、運動学といった基礎知識が必要です。それと同じように、マネジメントにもマネジメントのための基礎知識が必要です。

    考えてみれば当然のことでした。

    でも、私たち理学療法士は、その基礎知識がないまま、学生指導や後輩指導を行ってきたのではないでしょうか。

    自分がそうだったように、経験則と熱意だけで指導し、うまくいかなければ相手のせいにしてしまう。そんなことを繰り返してきたのではないか。

    私自身、随分と遠回りをしたと感じています。


    自分自身の学習にも使える

    マネジメントを学んでよかったと思うのは、組織運営や後輩指導だけではありません。

    自分自身の学習をどう進めるか、という視点でも役に立ちました。

    私はこれまで、がむしゃらに勉強してきました。プライベートの多くの時間やお金を犠牲にして、ひたすら知識や技術を追い求めてきました。

    それ自体を後悔しているわけではありません。でも、マネジメントや学習論を学んでから気づいたのは、自分がいかに非効率だったか、ということでした。

    長い時間をかけて経験的に感じ、構築してきたことが、理論としてすでに言語化されていた。それを知っていれば、もっと効率よく学べたかもしれない。

    職場に学習の仕組みが整っていなければ、自分で自分の学習をマネジメントする必要があります。そういう意味でも、マネジメントの考え方は、管理職でなくても役に立つと感じています。


    管理者だけのものではない

    マネジメントは、「人を管理する技術」ではありません。

    「目標を達成するために、環境を整える考え方」です。

    後輩指導に悩んでいる人。学生指導でうまくいかないと感じている人。自分自身のキャリアや学習の方向性に迷っている人。

    そういう人にとっても、マネジメントを学ぶことは、何かのヒントになるかもしれません。

    少なくとも、私にとってはそうでした。

    このブログでは、私自身がマネジメントを学びながら、現場で試行錯誤してきたことを書いています。答えが出ている話ではありませんが、同じように悩んでいる誰かの参考になれば嬉しいです。


    皆さんは、後輩指導や学生指導で悩んだ経験はありますか?よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • 「まずは病院」という常識の中で、クリニックが新卒を採用するために考えたこと

    前回の記事では、経営陣との交渉を経て、増員に向けて動き出す許可を得たことを書きました。

    しかし、許可が出たからといって、すぐに人が来るわけではありませんでした。

    当院は地域密着型の整形外科クリニックです。大きな病院のような知名度はなく、既卒者の中での認知度も高くありません。

    正直なところ、給与を高めに設定すれば、人が来ないこともないとは思います。整形外科クリニックは全体的に給与水準が高めに設定されている傾向があり、条件面で勝負することは不可能ではありません。

    ただ、私自身は「誰でもいいから人が欲しい」というわけではありませんでした。リハビリの質を向上させたい、学んでいく環境を整えたい、努力が評価される職場にしたい。そういう思いがありました。

    それに、下手に給与を上げて採用することへの抵抗もありました。

    中途で入ってくる人が悪いとか良いとかではありません。ただ、人手が欲しいという理由だけで高い給与を提示するのは、今まで長く頑張ってきたスタッフへの不義理になるのではないか。そんな思いがありました。

    当院での働きをもって正当に評価されて給与が上がるならいい。でも、ただ採用のためだけに条件を上げるのは、私が好まない業界全体の風潮と同じ構造です。長く働いている人が報われにくい。それは、自分が変えたいと思っていたことそのものでした。

    この問題にどう向き合っていくかは、また別の機会に書きたいと思います。

    では、中途採用が難しいなら、新卒を採用できないか。そう考えました。

    しかし、ここにも壁がありました。


    理学療法士業界の「まずは病院」という常識

    理学療法士の世界には、「まずは病院で経験を積むべき」という暗黙の常識があります。

    学生時代、教員からも「最初は病院で幅広く経験を積んだ方がいい」と言われます。実習先でも、就職相談をした先輩からも、だいたい同じことを言われる。実際、理学療法士全体の約8割が病院勤務であり、クリニック勤務は1割程度です。

    周囲のほとんどが病院出身者であれば、「まずは病院」というアドバイスが出るのは当然のことです。自分たちがそうだったから、そう言う。悪意があるわけではなく、むしろ善意からのアドバイスです。

    ただ、結果として、学生にとっては「まずは病院」が常識になり、王道になっている。新卒でクリニックを選ぶという選択肢は、そもそも視野に入りにくい構造になっています。

    誤解のないように言っておくと、病院で学ぶことの価値を否定するつもりはありません。急性期病院でリスク管理や動作介助、チーム医療を経験することは、理学療法士にとって重要な要素だとも思っています。クリニックでは、それらに触れる機会が少ないのも事実です。

    病院とクリニック、どちらが優れていてどちらが劣っているという話ではありません。優先されるスキルや知識が違うだけです。

    ただ、口には出さなくても、どこかにヒエラルキーのようなものがあるように感じることはあります。学生がクリニックを第一志望にすると、「本当にそれでいいの?」と心配されたり、周囲から遠回しに再考を促されたりすることもある。

    そういう環境の中で、新卒がクリニックを選ぶというのは、いくつもの心理的ハードルを越え、周囲のアドバイスを押し切る必要がある、大きな決断なのです。


    残された選択肢

    中途採用は難しい。新卒は業界の常識の壁がある。

    その中で、当院に残されていた現実的な選択肢は、実習生からの採用でした。

    当時から、実習生の受け入れは行っていました。そして、実習をきっかけに当院への就職を決めてくれるスタッフも、一定数いました。

    戦略的にそうしていたわけではありません。正直に言えば、それしか方法がなかったのです。

    知名度のないクリニックが、業界の常識を越えて新卒を採用するには、まず「知ってもらう」ことが必要でした。実習という機会は、当院の雰囲気や考え方を直接伝えられる、数少ない接点だったのです。


    当時の実習指導の実態

    当時の実習指導に明確な方法論があったかと言えば、そうではありませんでした。

    当時は当時で、一生懸命にやっていました。学生のためを思い、時間を割いていました。手を抜いていたわけではありません。

    しかし、良い指導のノウハウがあったわけではなく、個人の熱意や能力に依存したものでした。どうしても昔ながらの指導になりがちで、「自分たちが受けてきた指導」を無意識に踏襲してしまっていた部分もあったと思います。

    これは、以前の記事で書いたスタッフ教育の問題と同じ構造です。個人の善意や熱意に頼った指導は、うちだけでなく、業界全体に根強く残っているものではないかと感じています。

    業界の常識を越えて、当院を選んでもらうには、今まで通りではだめだ。そう思いました。


    ここから試行錯誤が始まった

    実習生の受け入れを「採用のための手段」としてだけでなく、「教育の質を上げる機会」として捉え直していこうと思いました。

    採用につなげるためには、実習の質を上げる必要がある。実習の質を上げるためには、指導の方法論を学ぶ必要がある。

    まずは、実習指導や教育について体系的に学び直すことから始めました。

    結果として、この取り組みは、採用だけでなく、リハ科全体の教育体制を見直すきっかけにもなっていきました。

    次回以降、実習指導の中でどんな試行錯誤をしてきたのかについて、書いていこうと思います。


    皆さんの職場では、採用や実習指導について、どのような工夫や悩みがありますか?よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • データ処理のためにExcelと格闘した話と、経営陣への交渉

    前回の記事では、リストを作っただけの「仕組み化」が空回りし、本当の意味での環境設計の必要性に気づいたことを書きました。

    「自分の頭の中にある暗黙知を言語化し、きちんとした教育の仕組みを作ろう」。そう決意した私でしたが、すぐにプレイングマネージャーならではの壁にぶつかります。

    時間がない。

    当時の私は、他のスタッフと同様に朝から晩まで患者さんのリハビリに入る、いちプレイヤーでした。腰を据えてマニュアルを作ったり、マネジメントを深く考えたりする時間を確保するのは、現実的にかなり厳しい状況でした。

    そして、私がマネジメントに割く時間を生み出すには、現場の負担を分散させる新しいスタッフを採用するしかない。そう結論づけました。


    経営陣との「認識のギャップ」

    しかし、経営陣に相談しても、返ってくるのは「う〜ん、まあ増やせたらいいけどねぇ」という、なんとも消極的な反応でした。

    誤解のないように言っておきますが、当院の院長や理事長は医療に対して真摯に向き合っており、決して損得だけで物事を判断しているわけではありません。ただ単に、「将来的にどんなリハ科を作っていくか」というビジョンが、まだ共有されていなかっただけです。

    私自身も、明確なビジョンが先にあったわけではありません。現場は回っている。でも、もっと良くできるはずだ。その思いが先行していました。

    そんな状況に対して、「もっと良くしたいんです!」という熱意だけをぶつけても、響くはずがない。それはわかっていました。

    また、成果も出していないのに報酬を先に要求するのは、どうにも私の性分的に好きではありませんでした。


    「どうすれば通るか」を考え始めた

    では、どうすれば要望が通るか。

    感情でも、未来の約束でもない、何か具体的なものを持って話しに行かないと、また同じになる。そう思い、とりあえず数字を出してみようと考えました。

    リハ科が現状でどれだけの価値を生み出し、同時にどんな機会損失を出しているのか。それを数字として整理することにしました。

    一般的な単位数だけを出しても、経営的な説得力には欠けます。私が目をつけたのは、以下のような「隠れた実績と課題」でした。

    リハビリ来院に伴う再診料の推移。計画書算定数。スタッフの残業時間と稼働率のバランス。

    そして、もう一つの交渉材料が、以前スタッフに提示して空回りしたあの数字でした。


    視点を変えた「キャンセル率」の使い方

    以前の記事で、キャンセル率をスタッフに提示してプレッシャーをかけ、うまくいかなかった話を書きました。提示したこと自体が間違っていたとは今でも思っていません。ただ、この数字には別の使い道があった。

    当時の当院のドロップアウト率やキャンセル率は、決して低い数字ではありませんでした。私はこの事実を隠すのではなく、「ここを改善させられれば、もっと良くなる」という伸びしろとして、経営陣に提示しました。

    「ドロップアウト率を下げる教育の仕組みを作りたい。でも今の私にはその時間がない。人を増やしてマネジメントの時間を確保させてくれれば、この穴が塞がり、再診料も含めてこれだけの利益が上がります」


    慣れないExcelとの格闘

    このロジックを証明するために、私は慣れないExcelを開きました。

    どうすれば自動でドロップアウト率が計算できるか。「何人リハビリをしたか」がパッと見てわかる表をどう作るか。

    そもそも、誰かに頼むという発想自体がなかった。理学療法士という仕事柄、PCや表計算ソフトに慣れているわけではない。Excelの数式も、お世辞にも使いこなせているとは言えなかった。

    それでも、「こういうものが作れたら現場が見えやすくなる」というイメージだけはあった。そのイメージに向かって、ネットで調べ、試し、失敗し、また調べる。診療が終わった夜、その繰り返しでした。

    数式が思い通りに動いた瞬間、達成感があった。畑違いの分野で、調べながら何かを自分の力で作れた、という感覚に近いものだったと思います。

    思えば、この「患者管理のエクセルシート」こそが、私が現場に生み出した本質的な意味での最初の仕組み化でした。感覚ではなく、客観的な事実で現場を評価する土台が、皮肉にも経営陣への交渉準備という、わりと泥臭い動機から生まれました。


    交渉の結果

    この数字をもとに経営陣との交渉に臨み、結果として積極的に人数を増やす方向に向けて動き出す許可を得ることができました。

    このデータが効いたのか、それとも熱意が伝わったのか、実際のところはよくわかりませんが、結果として自分の望んだほうに進んでくれました。


    次の壁

    ホッとしたのも束の間、すぐに次の問いが立ちはだかりました。

    「人を増やす許可は出た。でも、どうやって当院の魅力を外部に伝え、人を集めればいいんだ?」

    次回は、スタッフの人数を増やすために直面した「理学療法士業界の常識」と、実習生や外部に向けて「当院の魅力」をどう作っていったのかについて書いてみたいと思います。

    皆さんは、上司や経営陣を説得するために、どんな工夫をした経験がありますか? よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • 最初の「仕組み化」で直面した理想と現実のギャップ

    前回の記事では、個人の意欲に頼るのをやめ、真の意味で仕組み化(環境設計)へと舵を切らなければならないと悟った日のことを書きました。

    今回は、その決意の直後に打った「最初の一手」と、そこから得た気づきについて書いてみたいと思います。


    最初の「仕組み化」

    「まずは、現場が動きやすい仕組みを作ってみよう」

    そう考えた私は、いくつかのツールを現場に投入しました。

    • 気まずい空き時間をなくすための「リハ科ToDoリスト」
    • 若手が迷わず学べるようにするための「学習チェックリスト」
    • 現場の不満や改善点を拾い上げるための「ご意見投書箱」

    これらを導入した時、私は「これで何かが変わってくれるかもしれない」と期待していました。

    やるべきことが可視化されれば、スタッフは自発的に動きやすくなるだろう。
    そんなふうに考えていたのです。

    しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。

    これらのツールは、見事に空回りしたのです。


    ToDoリストが生んだ不公平感

    月間のToDoリストのタスクは、結局いつも特定の頑張るスタッフだけが消化し、不公平感を生みました。

    空き時間にやるはずのToDoは、「具体的なやり方がわからない」と放置され、結局私が説明に回らなければ進みませんでした。

    ご意見箱には、1枚の紙も入ることはありませんでした。

    責任者になったばかりの頃の私なら、「なぜやってくれないんだ」と裏切られたような気持ちになり、絶望していたかもしれません。

    しかし、この時期の私は少し違いました。

    不公平な負担を背負わせてしまった頑張るスタッフに対しては「本当に申し訳ない」と痛感しつつ、意図通りに動けないスタッフに対しては「まあ、しょうがないよね」という諦め半分のドライな気持ちもありました。

    今までうまくいかない原因を「外(スタッフ)」に求めていた状態から、徐々に「自分」に見出すようになり、自分と他者とのギャップをすり合わせようとしていた過渡期だったのだと思います。


    「伝わっているつもり」という錯覚

    「自分ならこのリストを見ればパッと動ける。でも、ああ、これだけの情報じゃうまく伝わらないのね」

    前提知識の量も、制度への理解度も全く違うのに、ただリストを投げただけで動けるはずがなかったのです。

    そして、この「他者とのギャップ」を最も痛感したのが、「学習チェックリスト」でした。


    チェックリストは埋まるのに、理解は深まらない

    当時の私は、「〇〇について調べる」「〇〇ができる」という項目をリスト化して渡せば、若手は学んでいくと思っていました。

    実際、彼らはリストに次々と「チェック(レ点)」をつけていきました。

    しかし、チェックがついているのを見て知識の確認をしてみると、違和感を覚えました。

    答えが、たどたどしいのです。

    こちらの意図している到達点には全く達しておらず、ディスカッションをしていても知識が表面的で、ネットの情報を一つ丸写ししたような状態でした。

    そこから「もう少し深い知識を探してみよう」と促しても、彼らはポカンとしています。

    そもそも、「自分が何を理解できていないのか」がわかっていない感じだったのです。


    「知識」ではなく「メタ認知」の問題だった

    その時、ハッとしました。

    「あぁ、これは知識の問題じゃない。
    メタ認知の問題か!

    私自身が若手の頃は、わからないことがあれば泥臭く手当たり次第に調べ、何冊もの専門書を読み比べて知識を繋ぎ合わせてきました。

    しかし今は、検索すれば数秒で「答え」が手に入る時代です。

    「調べる」という行為自体が変容している現代において、ただ「項目」を羅列したリストなど、何の意味も持ちませんでした。

    「今の時代なら、そりゃそうなるか。これじゃダメだ、もっと詳しいロードマップを敷かなきゃな」

    私は冷静にそう分析しました。

    悪いのは彼らではありません。

    真の意味で優れた治療者の実力は、泥臭い経験から得た「暗黙知」にあるのかもしれません。

    しかし、それをそのまま初学者に求めるのは、あまりにもハードルが高すぎました。


    「仕組み」として必要だったもの

    私が本当に用意すべきだったのは、リストではありません。

    • なぜその業務・学習が必要なのかという「理由(Why)」
    • それを誰でも迷わず進められる「マニュアル(How)」
    • それに沿って進めれば自然と体系的な知識とメタ認知が身につく「ガイドライン(道筋)」

    ツールを作るだけでは、人は動きません。

    「制度の理由」と「具体的な方法論」がセットになって初めて、それは「仕組み」として機能する。

    やってみて、うまくいかなかったからこそ分かったギャップでした。


    プレイングマネージャーという壁

    ここから私は、自分の頭の中にある「暗黙知」を言語化し、本当の意味での環境設計(マニュアル作り等)という泥臭い作業に足を踏み入れていく……はずでした。

    しかし、ここでプレイングマネージャーとしての「最大の壁」に激突します。

    それは、

    「仕組みを作りたいが、目の前の臨床に追われて時間が全くない」

    という物理的な壁です。

    時間を作るには、スタッフを増やすしかない。

    しかし経営陣から見れば、現状でも業務は回っており「人は足りている」という認識です。

    当時の私は、自分自身のビジョンすら明確ではなく、「とにかく今のままじゃダメだ」という焦りだけで走っていました。

    当然、そんなフワッとした熱意だけをぶつけても、経営陣が人を増やしてくれるわけがありません。


    「だったら、彼らが納得する“武器”を使って、私の思い通りに動かしてやろう」

    次回は、時間と人を勝ち取るために、私が打算的に用意した
    「泥臭いデータ集め」について書いてみたいと思います。


    皆さんは、良かれと思って作った「リスト」や「ルール」が、現場でうまく機能しなかった経験はありますか?
    よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • 正論で組織は壊れる。私が気づいた「環境設計」の必要性

    前回の記事では、キャンセルに対する私個人の「ざわつき」と、当時の私がマネジメントを全く理解しておらず「スタッフの熱意」に依存していたことについて書きました。

    今回は、その熱意への依存が現場にどんな影響がでていたか。当時の失敗談を書いてみたいと思います。


    キャンセルの扱い方

    当時の私は、キャンセルという避けられない現実に対して、自分なりに「ロジック」を持っていました。 具体的には、以下の3つのステップでリハ科の成長と個人の成長ができると本気で信じていたのです。

    ① まずは現実を「数値(キャンセル率)」として客観的に捉える。

    ② 数字を見ることで「天気のせいだから仕方ない」で終わらせず、改善策をスタッフ自身に「考えてもらう」。

    ③ キャンセルで生まれた「40分の空き時間」を使って、その改善アクションを実行してもらう。

    これが回れば、スタッフ個人の成長にも繋がり、結果としてリハ科のため、病院のためになる。 「これこそが理想のリハ科運営だ!」と、当時の私は考えていました。

    しかし、今なら痛いほどわかります。 この「ぐうの音も出ない正論」こそが、スタッフを最も追い詰め、現場を息苦しくさせていた原因だったということに。


    数字が生み出した圧力

    管理者からすれば、数値を客観的に見ることは当たり前のステップです。 しかし、現場のスタッフからすればどうでしょうか。 ただでさえ「自分の腕が悪いからキャンセルされたのでは」と心をざわつかせているところに、「今月のあなたのキャンセル率は〇%です」と数字を突きつけられる。 それは、「あなたのせいで病院にこれだけ損失が出ている」という無言の圧力に他なりませんでした。

    そして、私は最も残酷な言葉をかけていました。 「空いた時間で、リハ科や病院のためにできるアクションをしてほしい」と。

    一見、スタッフの自主性を重んじているように聞こえます。 しかし実態は、マネジメントの放棄(丸投げ)でした。

    スタッフにしてみれば、どうすればキャンセルが減るかなんて、個人の内省だけで答えが出るはずがありません。 息つく暇もない日々の診療の中で、ぽっかり空いたキャンセルの時間すら、「病院のために何かを生み出せ」と強要されているように感じていたのかもしれません。


    スタッフに生じた変化

    結果として、スタッフルームには「二極化」が生じていきました。

    一方は、上昇志向を持ち、病院のため、自分のためにと時間を惜しまず頑張るスタッフ。 そしてもう一方は、そんな彼らの熱量に対して引け目を感じ、「居づらさ」を誤魔化すために忙しくないのにPCを叩くフリをするスタッフです。

    前者の「もっと頑張ろうよ」という無言の圧力が、後者をさらに萎縮させる。

    実は、私はこの「二極化」や「同調圧力」による働きづらさが生じることは、最初からある程度想定していました。 だからこそ、モチベーションの高いスタッフに対しても、「どんなスタンスの人間でも働きやすい職場を目指している」という私の理想を、言葉でしっかりと説明していたつもりだったのです。

    しかし、現実は甘くありませんでした。 医療従事者が何年もかけて培ってきた「プロ意識」や「責任感」は、管理者の言葉による説明くらいで簡単にコントロールできるものではありませんでした。 私自身が過去そうであったように、後輩たちもまた「休むこと」や「割り切ること」をうまく受容できず、苦しんでいました。

    「言葉で説明したから分かってくれるだろう」というのは、私の傲慢でした。 考慮していても、うまく対処できない。現場の同調圧力や固定概念を変えることの難しさを、私は痛感していました。


    突きつけられた欠陥

    そんな中で、私のこの「甘え」と「正論の暴力」が引き起こした、決定的な出来事があったのです。

    当時、教育の一環として、空き時間が出た若手には先輩スタッフの治療に「同行見学」をしてもらっていました。 ある日の夕方、同行された先輩スタッフは時間内に仕事を終え、定時でサクッと帰宅しました。しかし、ただ同行しただけの若手スタッフが、本来なら必要のない「見学のまとめレポート」を書くために「残業」をしていたのです。

    単位を取得して利益を生んだ先輩が定時で帰り、勉強させてもらった後輩が残業代をもらっている。 当時の私は、この光景に強い違和感と怒りを覚え、後輩を問い詰めてしまいました。

    「自己研鑽と業務を混同するのはどうなのか?」 「給料をもらうプロとしての心構えとして、それはおかしいんじゃないか?」

    私からすれば、当然の「正論」でした。 しかし、後輩から返ってきたのは、予想もしていない言葉でした。

    「……そんな視点では、考えもしませんでした」

    悪びれるわけでもなく、ただ本当にキョトンとしていました。彼にとっては「同行するように言われたから行き、そのまとめを書いていただけ」なのです。

    この瞬間、私は言葉がでないほどの衝撃を受けました。 そして同時に、猛烈に恥ずかしくなりました。

    悪いのは「プロ意識がない後輩」ではない。 「これは自己研鑽だから業務時間内(または残業)にはやらない」という明確なルールを作らず、ただ現場に放り込み、予想外の行動をとられた途端に「プロ意識」という思想の暴力で殴りつけた「私自身のマネジメントの欠陥」だったのです。


    気づかされた未熟さ

    「どんなスタンスでも働きやすい職場を」と口では言いながら、私自身が一番「プロならこう考えるべきだ」「給料をもらうならこうあるべきだ」という、古い固定概念に深く縛り付けられていました。 ルールがない世界では、見えている景色が人によって全く違う。それなのに、自分の固定概念を押し付けていたのだから、組織が回るはずがありません。

    「ちゃんと見ているよ」という甘え。 「言葉で説明すれば分かるはずだ」という思い上がり。 そして、「プロとして考えてほしい」という正論の暴力。

    本当に「個人の意欲や思想」に頼るのをやめ、真の意味で「環境設計(仕組み化)」へと舵を切らなければならない。 私が心の底からそう悟り、もがき始めたのは、この出来事がきっかけでした。


    ここから、あの「気まずい40分」という環境を、具体的にどう解体し、仕組み化していったのか。 次回は、その「最初の一歩」について整理してみたいと思います。

    皆さんは、自分の「当たり前」や「正論」で、スタッフを追い詰めてしまった経験はありますか? よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • キャンセルを、どう受け止めるか

    キャンセルは、ある意味では仕方のないものだと思っている。

    天候が悪ければ外出は難しくなる。
    感染症が流行していれば体調不良の方も増える。
    仕事や家庭の事情もある。

    サービス業とは違い、
    病院は「売上のために来てください」とは言えない。
    キャンセル料を請求するわけにもいかない。

    構造的に見れば、キャンセルが発生するのは当然だ。
    頭ではそう理解している。

    それでも。

    キャンセルが入ると、心が少しざわつく。

    空き時間ができるからでもない。
    病院の利益が下がるからでもない。
    もっと個人的な感情だ。

    「選ばれなかったのではないか」

    そんな感覚がどこかにある。

    もし自分の技術がもっと優れていたら。
    もし患者さんが「良くなっている」という実感を持てていたら。

    他の予定があっても、
    雨が降っていても、
    「それでも行きたい」と思ってもらえたのではないか。

    このリハビリの時間を、
    単なる予定のひとつではなく、
    「貴重なもの」として捉えてもらえたのではないか。

    そんなことを考えてしまう。

    同時に別の気持ちもある。

    「今日は天気が悪いから仕方ない」
    「流行期だから仕方ない」

    そうやって深く考えないようにしたくなる自分もいる。
    そうやって自分の心を守らなければならない時もあることも理解している。

    自責と、甘え。
    その境界線は、思っているよりも曖昧だ。

    キャンセルは、単なる予定の変更ではない。
    自分にとっては、理学療法士としての価値を無意識に測ってしまう出来事でもある。

    もちろん、
    キャンセルが多いことが腕の悪さを意味するわけではない。
    患者背景や疾患特性、社会的要因もある。
    それに、何より患者さんには無理をしてほしくない。安全第一で休んでいただくべき日も当然ある。

    それでも、

    「患者をよくする」
    「理学療法の質を高める」

    という自分の理想を追い続ける限り、
    この問いから目を背けることはできない。

    正直に言えば、自分はまだ満足していない。
    臨床も、
    管理も、
    運営も。

    尊敬できる治療者や先生方を見てきたからこそ、
    まだできることがあると感じている。
    キャンセルという現実も、その「伸びしろ」の一部なのかもしれない。

    キャンセルを責めたいわけではない。
    ただ、この出来事をどう受け止めるか。
    それは、一人の臨床家としての自分の姿勢の問題なのだと思う。

    ……正直に告白すれば、当時の私はまだマネジメントの「マ」の字も分かっていなかった。

    「リハビリの質の向上=個人の成長意欲や内省の深さ」だと信じて疑わず、キャンセルで空いた40分の時間すらも、「スタッフの熱意」でどうにか有意義に使ってほしいと願ってしまっていた。

    今振り返れば、それはどこか「支配」に近いものであり、管理者としての未熟さ、そして甘えだったのだと思う。
    しかし、当時はそのことに気づけず、試行錯誤と空回りを繰り返していた。

    だからこそ、次回からは少し時計の針を進めてみたい。

    この「キャンセルへの個人的なざわつき」や「熱意への依存」を抱えていた私が、いかにして失敗し、もがき、そこから「個人の問題ではなく、組織の仕組みの問題」へと視点を切り替えていったのか。

    決して綺麗な成功談ではない。

    数字やキャンセルという事実は、時に人を傷つける刃にもなる。
    けれど、もがきながら見方を変えれば、組織が変わるためのヒントにもなる。

    そのあいだで、私は何を間違え、何を学び、どう視点を変えていったのか。

    引き続き、お付き合いいただければうれしいです。


    皆さんは、キャンセルに心がざわついた経験、ありますか?
    よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • 迷いながら、それでも数字で現実を直視した理由

    業務効率化によって時間をつくり、
    日報や患者管理の方法を見直しました。

    すると、これまで感覚的にしか意識していなかった情報が、
    少しずつ「数字」として集まるようになりました。

    正直に言えば——
    ここまではっきりと「現実」が見えるようになるとは思っていませんでした。

    数字は便利です。
    同時に、残酷でもあります。

    特に私の心を止めたのは、
    キャンセル数とキャンセル率でした。


    外来リハビリにおける「キャンセル」という現実

    当院の外来リハビリは予約制です。
    その日に来院される患者さんは、事前にすべて決まっています。

    理学療法士が1日に対応できる単位数には上限があり、
    キャンセルを見越して多めに予約を入れることはできません。

    入院とは違い、
    急に時間が空いたから別の患者さんを診る、ということもできない。

    つまり外来リハビリでは、

    キャンセル = そのまま時間と単位のロス

    になります。

    本来であればリハビリを行うはずだった時間に、
    突然ぽっかりと空白が生まれる。

    その空白が、
    雇用されている立場として、
    給料をいただいている立場として、
    どういう意味を持つのか。

    数字として可視化されたことで、
    その現実が、はっきりと目の前に現れました。


    数字を出すことへの葛藤

    正直、迷いはありました。

    スタッフが萎縮してしまうのではないか。
    モチベーションを下げてしまうのではないか。
    経営側に悪印象を与えてしまうのではないか。

    実際、そうしたリスクは十分に考えられました。

    院長からも、

    「まあまあ、みんな頑張っているんだから、
    そんなに心配しなくてもいいんじゃないの?」

    というニュアンスの言葉をかけられました。

    確かに、
    数値上は大きな問題があるわけではない。
    診療時間中、スタッフはみな必死にリハビリをしている。

    それは紛れもない事実です。

    数字を出すことが、
    誰かを責める材料になるのではないか。

    そんな不安もありました。


    それでも、見ないままにはできなかった

    それでも私は、
    この数字から目を背けることができませんでした。

    単位制という仕組みの中では、
    どれだけ準備し、考え、工夫していても、
    その努力が数字として表れることはほとんどありません。

    質が高くても、低くても、単位は同じ。

    これは、避けられない現実です。

    だからこそ——
    何も見えないままでいいとは思えなかった。

    数字ですべてを評価できるとは思っていません。
    むしろ、数字だけで評価してはいけないとも思っています。

    けれど、客観的な評価ができない状態では、
    話し合うこともできず、改善を試みることすらできない。

    少なくとも、
    現状を客観的な指標として認識することは必要だと感じました。

    数字は評価のためではなく、
    対話のために使うものだと、考えました。


    管理者としての正解かは、今もわからない

    この選択が、
    管理者として正しかったのかどうか。

    今でも正直わかりません。

    スタッフの働きやすさだけを考えれば、
    厳しい現実をあえて見せない、という選択もあったはずです。

    でもそのときの私は、
    管理者としてというよりも、
    一人の理学療法士として、

    「リハビリの質を高めたい」
    「高め続ける組織でありたい」

    という気持ちを捨てきれませんでした。

    だからこそ、
    あえて数字として現実を直視する道を選びました。

    それが、
    私たちリハビリテーション科が
    これから何を改善すべきなのかを考えるための
    出発点になると信じたからです。


    次回

    次回は、
    「キャンセル」という数字をどう受け止めるべきかについて書こうと思います。

    それは管理のための数字なのか、
    それとも臨床の質を考えるための数字なのか。

    管理者として、
    そして理学療法士としての葛藤を含めて、
    正直に残していきたいと思います。

  • 時間がなければ、何も変えられないと思った ― 管理職としての最初の整理

    育成を業務として位置づけたい。
    そう考えるようになったとき、最初に突き当たった壁は、とても単純でした。

    時間がない。

    リハビリテーション科全体として育成の時間を確保するには、
    まず管理者である自分自身が、時間をつくらなければならない。
    そう思う一方で、現実は簡単ではありませんでした。

    変えたい。
    でも、変えるための時間がない。
    そして、時間がなければ、今までと同じやり方を続けるしかない。

    この矛盾の中で、しばらく足踏みしていた感覚があります。


    当初の自分の立ち位置

    当時の自分は、
    「理学療法士として患者をみること」を軸にしながら、

    • 単位の取得
    • スタッフ育成
    • リハ科としての方向性の検討

    を同時にやろうとしていました。

    管理者としての業務もありましたが、その実態は、

    • 月間単位数・新規患者数の集計
    • 計画書などの取り逃し確認
    • シフト作成、残業管理
    • 他科からの問い合わせ対応

    今振り返ると、「マネジメント」というより、
    臨床業務に雑務が付け足されていっただけの状態だったと思います。

    管理者として機能していたかと言われれば、正直、全くできていませんでした。


    時間を生み出すには、やり方を変えるしかなかった

    当時の日報管理は、紙ベースが中心でした。
    最後まで残っていたスタッフが、その日の単位数や人数を手入力する。

    把握できるのは、

    • その日の個人・全体の人数
    • 単位数

    それだけ。

    新規患者数の推移、キャンセルの状況、継続率など、
    「リハ科として何が起きているのか」を考えるための情報は、ほとんど見えていませんでした。

    この状態では、

    • 業務効率化の必要性
    • 育成に時間を割く意義

    を、感覚では語れても、根拠をもって示すことができない

    管理者として役割を果たすには、
    まず「考えるための材料」を揃える必要がある。
    そう考えるようになりました。


    最初に手をつけたのは、日報の見直し

    まず行ったのは、日報の変更でした。

    • 各自が入力する形式に変更
    • 入力項目を
      • 単位数
      • 人数
      • 新規患者数
      • キャンセル数

    に整理

    これだけで、

    • 新規患者数の推移
    • キャンセル数・キャンセル率
    • 個人・全体の単位数

    を、自動で数値化できるようになりました。

    最初から高度なことができたわけではありません。
    できることは限られていましたが、
    毎月、個人と全体のデータを数値やグラフで提示するようにしました。

    すると、
    「忙しい」「時間がない」という感覚的な話が、
    少しずつ具体的な話に変わっていきました。


    管理者として、自分の働き方を変えるしかなかった

    管理者として「時間がない」と言い続けるだけでは、
    結局、何も変わらない。

    そう気づいたとき、
    まず変えるべきは、環境でもスタッフでもなく、
    自分自身の働き方だったのだと思います。

    育成を業務に組み込むためには、
    まず考える時間をつくること。
    そのために、業務のやり方を見直すこと。

    この一歩がなければ、
    どんな理想を語っても、前には進めなかったと思っています。


    次回は、
    業務効率化の一環として数字を出すようになったことで、
    初めて見えてきた「キャンセル」という現実について書こうと思います。

    見えなくてもよかったのではないか、
    見せることで誰かを傷つけてしまうのではないか。

    そんな葛藤を抱えながら、それでも数字と向き合う必要があると感じた理由を、正直に残します。


    もし、
    「時間がない」「変えたいけど変えられない」
    そんなジレンマを抱えている方がいたら、
    同じ場所で悩んでいる人間が、ここにもいると伝われば嬉しいです。

  • 業務時間内で人を育てるために、まず「時間」と向き合った話

    「みんな頑張っているから、大丈夫なんじゃない?」

    育成の重要性について院長に相談したとき、
    返ってきた言葉は、こんなニュアンスでした。

    「まあまあ、みんな頑張っているんだから、
    そんなに心配しなくてもいいんじゃないの?」

    決して否定されたわけではありません。
    むしろ、私の肩の力を抜こうとしてくれた言葉だったと思います。

    確かに、数値上は悪くありませんでした。

    外来リハビリの現場では、患者さんが次から次へと来院し、
    診療時間中はほとんど休む間もなく対応しています。

    診療時間外には、
    カルテ記載、書類作成、カンファレンスなど業務は多岐にわたり、
    スタッフは皆、忙しく働いていました。

    数か月に一度、昼の空き時間を使って勉強するのがやっと。
    そんな現場の状況を考えると、

    「今と同じ数字を維持したまま、
    指導や育成を“業務として”行ってほしい」

    そう簡単に言える話ではない、
    ということも頭では理解できていました。


    それでも残った違和感

    スタッフが頑張っていないわけではありません。
    やる気がないわけでもない。

    理学療法士として成長したい。
    患者さんを良くしたい。
    その気持ちは、誰もが持っていると信じています。

    ただ、問題はそこではありませんでした。

    それが、
    プライベートと天秤にかけられたとき、
    どちらに傾いてしまうか。

    やる気や意欲の問題ではなく、
    「時間という余白」がないこと。

    このままでは、
    頑張っている人ほど疲弊し、
    育成は個人の善意に依存し続けてしまう。

    そんな違和感だけが、
    私の中に残りました。


    育成の前に、まず時間が必要だった

    正直に言えば、
    「育成の話をする前に、
    こんなところから考えなければならないのか」
    という無力感もありました。

    それでも、
    育成を「業務」として位置づけたいのであれば、
    まずは時間を作ることが最優先だと考えました。

    数字(単位)を落とさずに、
    どうやって時間を捻出するのか。

    そこで最初に取り組んだのが、
    業務効率化でした。


    すべてがうまくいっているわけではない

    現在は、研鑽を業務の一部として組み込んでいます。
    ただし、それがすべて良い面ばかりかというと、
    決してそうではありません。

    • 「やってもらって当たり前」
    • 「与えられて当然」

    そんな受け取られ方をしてしまう場面も、
    正直あります。

    それでも、
    個人の自己犠牲の上に成り立つ育成より、
    組織として支える形を模索する方が、
    今の時代には必要だと考えています。


    次回は、
    具体的にどのように業務効率化を進め、
    時間を作っていったのか
    について、書いていこうと思います。

  • 「そこまで勉強しようと思っていません」――後輩の一言で揺らいだ価値観

    「そこまで勉強しようと思っていません」

    ある日、後輩との定期面談の中で忘れられない言葉を聞きました。

    「○○さん(私)ほど、勉強しようとは思っていません。
    研修会にも、正直あまり行こうとは思っていないです。」

    一瞬、言葉が出ませんでした。


    当たり前だと思っていた前提

    理学療法士という仕事は、目の前の相手だけでなく、そのご家族の人生にまで影響を与える仕事だと思っています。

    だからこそ、

    • 自分の時間を使って勉強すること
    • お金をかけてでも知識や技術を磨くこと

    それは「向き・不向き」や「熱意」の問題ではなく、
    プロとしての最低限の責任だと、疑いなく思っていました。


    否定されたのは、価値観そのものだった

    その後輩の言葉は、決して投げやりでも、反抗的でもありませんでした。

    だからこそ、
    「考え方の違い」というよりも、
    自分が当たり前としてきた前提や価値観そのものを突きつけられたように感じました。

    以前から、努力している様子が見られなかったり、
    時間やお金をかけて学ぶこと自体を「無駄だ」と捉えているような言動をする人がいることもわかっていました。

    それでも、その後輩に対しては、
    将来この職場を離れることがあったとしても困らないように、
    少しでも良い治療者になってほしい、
    そして、一人の社会人として外に出ても恥ずかしくない人に育ってほしい、
    そんな思いで関わってきたつもりです。

    自分なりに目をかけ、
    理学療法士という仕事に対する思いや、
    臨床に向き合う姿勢についても、できる限り伝えてきたつもりでした。


    同じ時間、同じ価値になる現実

    新人でも、20年目のベテランでも、
    同じ時間リハビリを行えば、保険診療上の評価は同じです。

    経験が浅く未熟なうちは、
    「少しでもすごい理学療法士に追いつかなければならない」
    そう思って努力する責任があると考えていました。

    でも裏を返せば、
    どれだけ自己犠牲を払って努力しても、
    評価上は、努力していない人と同じ価値になってしまう。

    その現実に気づいてから、
    自分が頑張り続ける理由は、いつの間にか
    「患者さんが良くなって、喜んでくれること」
    それだけになっていました。


    自分一人なら、それでもよかった

    もし自分一人だけなら、それでも続けられたかもしれません。

    しかし、同じように頑張っている先輩や同僚、後輩たちを見ていると、
    「努力しても報われない制度や構造」そのものに、
    やるせなさや不満を感じるようになりました。


    管理職として突きつけられた問い

    後輩の一言は、
    「その考えは間違っている」と言われたわけではありません。

    でも、
    「それはあなたの価値観ですよね」
    そう突きつけられた気がしました。

    管理職として、
    この違いを「個人の問題」として片づけていいのか。
    それとも、組織として向き合うべき問題なのか。


    まだ答えは出ていない

    正直に言えば、
    この問いに対する明確な答えは、今も出ていません。

    考えたことは、
    「個人の努力」にだけ依存した組織運営には限界がある
    ということでした。

    次回は、この経験をきっかけに、
    私が「業務時間内でのスタッフ育成」に舵を切った理由について書こうと思います。

    皆さんの職場では、スタッフ間の「研鑽に対する熱量の差」にどう向き合っていますか? もしよければ、皆さんの体験や考えを教えていただけると嬉しいです。