正論で組織は壊れる。私が気づいた「環境設計」の必要性

前回の記事では、キャンセルに対する私個人の「ざわつき」と、当時の私がマネジメントを全く理解しておらず「スタッフの熱意」に依存していたことについて書きました。

今回は、その熱意への依存が現場にどんな影響がでていたか。当時の失敗談を書いてみたいと思います。


キャンセルの扱い方

当時の私は、キャンセルという避けられない現実に対して、自分なりに「ロジック」を持っていました。 具体的には、以下の3つのステップでリハ科の成長と個人の成長ができると本気で信じていたのです。

① まずは現実を「数値(キャンセル率)」として客観的に捉える。

② 数字を見ることで「天気のせいだから仕方ない」で終わらせず、改善策をスタッフ自身に「考えてもらう」。

③ キャンセルで生まれた「40分の空き時間」を使って、その改善アクションを実行してもらう。

これが回れば、スタッフ個人の成長にも繋がり、結果としてリハ科のため、病院のためになる。 「これこそが理想のリハ科運営だ!」と、当時の私は考えていました。

しかし、今なら痛いほどわかります。 この「ぐうの音も出ない正論」こそが、スタッフを最も追い詰め、現場を息苦しくさせていた原因だったということに。


数字が生み出した圧力

管理者からすれば、数値を客観的に見ることは当たり前のステップです。 しかし、現場のスタッフからすればどうでしょうか。 ただでさえ「自分の腕が悪いからキャンセルされたのでは」と心をざわつかせているところに、「今月のあなたのキャンセル率は〇%です」と数字を突きつけられる。 それは、「あなたのせいで病院にこれだけ損失が出ている」という無言の圧力に他なりませんでした。

そして、私は最も残酷な言葉をかけていました。 「空いた時間で、リハ科や病院のためにできるアクションをしてほしい」と。

一見、スタッフの自主性を重んじているように聞こえます。 しかし実態は、マネジメントの放棄(丸投げ)でした。

スタッフにしてみれば、どうすればキャンセルが減るかなんて、個人の内省だけで答えが出るはずがありません。 息つく暇もない日々の診療の中で、ぽっかり空いたキャンセルの時間すら、「病院のために何かを生み出せ」と強要されているように感じていたのかもしれません。


スタッフに生じた変化

結果として、スタッフルームには「二極化」が生じていきました。

一方は、上昇志向を持ち、病院のため、自分のためにと時間を惜しまず頑張るスタッフ。 そしてもう一方は、そんな彼らの熱量に対して引け目を感じ、「居づらさ」を誤魔化すために忙しくないのにPCを叩くフリをするスタッフです。

前者の「もっと頑張ろうよ」という無言の圧力が、後者をさらに萎縮させる。

実は、私はこの「二極化」や「同調圧力」による働きづらさが生じることは、最初からある程度想定していました。 だからこそ、モチベーションの高いスタッフに対しても、「どんなスタンスの人間でも働きやすい職場を目指している」という私の理想を、言葉でしっかりと説明していたつもりだったのです。

しかし、現実は甘くありませんでした。 医療従事者が何年もかけて培ってきた「プロ意識」や「責任感」は、管理者の言葉による説明くらいで簡単にコントロールできるものではありませんでした。 私自身が過去そうであったように、後輩たちもまた「休むこと」や「割り切ること」をうまく受容できず、苦しんでいました。

「言葉で説明したから分かってくれるだろう」というのは、私の傲慢でした。 考慮していても、うまく対処できない。現場の同調圧力や固定概念を変えることの難しさを、私は痛感していました。


突きつけられた欠陥

そんな中で、私のこの「甘え」と「正論の暴力」が引き起こした、決定的な出来事があったのです。

当時、教育の一環として、空き時間が出た若手には先輩スタッフの治療に「同行見学」をしてもらっていました。 ある日の夕方、同行された先輩スタッフは時間内に仕事を終え、定時でサクッと帰宅しました。しかし、ただ同行しただけの若手スタッフが、本来なら必要のない「見学のまとめレポート」を書くために「残業」をしていたのです。

単位を取得して利益を生んだ先輩が定時で帰り、勉強させてもらった後輩が残業代をもらっている。 当時の私は、この光景に強い違和感と怒りを覚え、後輩を問い詰めてしまいました。

「自己研鑽と業務を混同するのはどうなのか?」 「給料をもらうプロとしての心構えとして、それはおかしいんじゃないか?」

私からすれば、当然の「正論」でした。 しかし、後輩から返ってきたのは、予想もしていない言葉でした。

「……そんな視点では、考えもしませんでした」

悪びれるわけでもなく、ただ本当にキョトンとしていました。彼にとっては「同行するように言われたから行き、そのまとめを書いていただけ」なのです。

この瞬間、私は言葉がでないほどの衝撃を受けました。 そして同時に、猛烈に恥ずかしくなりました。

悪いのは「プロ意識がない後輩」ではない。 「これは自己研鑽だから業務時間内(または残業)にはやらない」という明確なルールを作らず、ただ現場に放り込み、予想外の行動をとられた途端に「プロ意識」という思想の暴力で殴りつけた「私自身のマネジメントの欠陥」だったのです。


気づかされた未熟さ

「どんなスタンスでも働きやすい職場を」と口では言いながら、私自身が一番「プロならこう考えるべきだ」「給料をもらうならこうあるべきだ」という、古い固定概念に深く縛り付けられていました。 ルールがない世界では、見えている景色が人によって全く違う。それなのに、自分の固定概念を押し付けていたのだから、組織が回るはずがありません。

「ちゃんと見ているよ」という甘え。 「言葉で説明すれば分かるはずだ」という思い上がり。 そして、「プロとして考えてほしい」という正論の暴力。

本当に「個人の意欲や思想」に頼るのをやめ、真の意味で「環境設計(仕組み化)」へと舵を切らなければならない。 私が心の底からそう悟り、もがき始めたのは、この出来事がきっかけでした。


ここから、あの「気まずい40分」という環境を、具体的にどう解体し、仕組み化していったのか。 次回は、その「最初の一歩」について整理してみたいと思います。

皆さんは、自分の「当たり前」や「正論」で、スタッフを追い詰めてしまった経験はありますか? よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

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