キャンセルは、ある意味では仕方のないものだと思っている。
天候が悪ければ外出は難しくなる。
感染症が流行していれば体調不良の方も増える。
仕事や家庭の事情もある。
サービス業とは違い、
病院は「売上のために来てください」とは言えない。
キャンセル料を請求するわけにもいかない。
構造的に見れば、キャンセルが発生するのは当然だ。
頭ではそう理解している。
それでも。
キャンセルが入ると、心が少しざわつく。
空き時間ができるからでもない。
病院の利益が下がるからでもない。
もっと個人的な感情だ。
「選ばれなかったのではないか」
そんな感覚がどこかにある。
もし自分の技術がもっと優れていたら。
もし患者さんが「良くなっている」という実感を持てていたら。
他の予定があっても、
雨が降っていても、
「それでも行きたい」と思ってもらえたのではないか。
このリハビリの時間を、
単なる予定のひとつではなく、
「貴重なもの」として捉えてもらえたのではないか。
そんなことを考えてしまう。
同時に別の気持ちもある。
「今日は天気が悪いから仕方ない」
「流行期だから仕方ない」
そうやって深く考えないようにしたくなる自分もいる。
そうやって自分の心を守らなければならない時もあることも理解している。
自責と、甘え。
その境界線は、思っているよりも曖昧だ。
キャンセルは、単なる予定の変更ではない。
自分にとっては、理学療法士としての価値を無意識に測ってしまう出来事でもある。
もちろん、
キャンセルが多いことが腕の悪さを意味するわけではない。
患者背景や疾患特性、社会的要因もある。
それに、何より患者さんには無理をしてほしくない。安全第一で休んでいただくべき日も当然ある。
それでも、
「患者をよくする」
「理学療法の質を高める」
という自分の理想を追い続ける限り、
この問いから目を背けることはできない。
正直に言えば、自分はまだ満足していない。
臨床も、
管理も、
運営も。
尊敬できる治療者や先生方を見てきたからこそ、
まだできることがあると感じている。
キャンセルという現実も、その「伸びしろ」の一部なのかもしれない。
キャンセルを責めたいわけではない。
ただ、この出来事をどう受け止めるか。
それは、一人の臨床家としての自分の姿勢の問題なのだと思う。
……正直に告白すれば、当時の私はまだマネジメントの「マ」の字も分かっていなかった。
「リハビリの質の向上=個人の成長意欲や内省の深さ」だと信じて疑わず、キャンセルで空いた40分の時間すらも、「スタッフの熱意」でどうにか有意義に使ってほしいと願ってしまっていた。
今振り返れば、それはどこか「支配」に近いものであり、管理者としての未熟さ、そして甘えだったのだと思う。
しかし、当時はそのことに気づけず、試行錯誤と空回りを繰り返していた。
だからこそ、次回からは少し時計の針を進めてみたい。
この「キャンセルへの個人的なざわつき」や「熱意への依存」を抱えていた私が、いかにして失敗し、もがき、そこから「個人の問題ではなく、組織の仕組みの問題」へと視点を切り替えていったのか。
決して綺麗な成功談ではない。
数字やキャンセルという事実は、時に人を傷つける刃にもなる。
けれど、もがきながら見方を変えれば、組織が変わるためのヒントにもなる。
そのあいだで、私は何を間違え、何を学び、どう視点を変えていったのか。
引き続き、お付き合いいただければうれしいです。
皆さんは、キャンセルに心がざわついた経験、ありますか?
よければコメントで教えていただけるとうれしいです。
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