ブログ

  • はじめに|このブログについて

    はじめて投稿します。
    地域密着型の整形外科クリニックで理学療法士として働いています。
    現在はリハビリテーション科の責任者として管理を任されており、スタッフは12名。
    理学療法士14年目、管理職としては7年目になります。

    このブログは、
    管理職として、臨床家として、まだ上手くいかないことが多く、日々模索している一人の理学療法士の記録
    です。

    知識や技術など、なにかを教えるためのブログでも、
    成功例をまとめたブログでもありません。
    現場で悩み、考え、うまくいかなかったことも含めて、
    自分自身の思考や学んだことを整理するために書いています。


    管理職になって気づいたこと

    管理職になった当初の数年間、
    正直に言えば、立場がかわっただけで、自分自身の考えは何も変わっていませんでした。

    「まずは自分が、立派な理学療法士でいなければ」
    「自分の仕事や信念を見せることが一番の教育だ」

    そんな臨床家としての価値観のまま、
    管理職の仕事をしていたように思います。

    目の前の患者さんに向き合う姿勢は、
    今も変わっていません。
    ただ、ある時から
    それだけでは足りないのではないか
    と感じるようになりました。

    組織の一員として、
    リハビリテーション科の責任者として、
    自分の理想や努力だけではどうにもならない場面が、
    少しずつ見えてきたからです。


    理想通りにいかない現実

    理学療法士という仕事は、
    人の身体や生活、時には命や人生に関わる仕事だと思っています。

    だからこそ、
    自分の時間やお金を使って自己研鑽することは、
    当然の責務だと考えてきました。

    一方で、管理職としてスタッフと向き合う中で、
    その価値観が必ずしも共有されていない現実にも直面しました。

    また、
    多様な働き方が求められる社会の流れや、
    実習指導を取り巻く環境の変化もあり、
    すべてを理想通りに進めることはできない
    ということも、少しずつ理解するようになりました。


    頑張りを「個人任せ」にしないために

    そんな中で、
    自分の中で大きな転換点となったのが、
    スタッフ育成を業務として行うことを意識するようにしたことです。

    理学療法士として成長することを、
    個人の熱意や自己犠牲に委ねるのではなく、
    業務の一環として位置づける必要がある
    と考えるようになりました。

    そのためには、
    経営者(院長)の理解も欠かせませんでした。
    現場の思いだけでなく、
    組織としてどう捉えるのかを、
    何度も話し合い、模索してきました。

    まだ道半ばで、
    うまくいっていないことの方が多いのが正直なところです。
    それでも、
    頑張りを「個人任せ」にしない仕組みを考え続けることが、
    管理職としての自分の役割だと感じています。


    このブログで書いていくこと

    このブログでは、主に次のようなことを書いていきます。

    • 整形外科クリニックにおける理学療法士の運営・管理
    • スタッフ育成や評価、学習の位置づけ
    • 臨床実習指導を通して感じたこと
    • 管理職として、臨床とどう向き合っているか
    • うまくいかなかった取り組みや、迷い

    いずれも、
    答えが出ている話ではありません。

    だからこそ、
    同じように悩んでいる方や、
    現場で工夫している方の声も、
    大切にしていきたいと考えています。


    おわりに

    このブログは、
    自分自身が考え続けるための場所であり、
    同じ現場にいる誰かと、思考を共有するための場所です。

    もしよければ、
    皆さんの現場で感じていることや、
    工夫している点などを、
    コメントなどで教えていただけると嬉しいです。

    一緒に考えていけたらと思っています。

  • 整形外来という領域での実習指導。ずっと抱えてきたジレンマ

    前回の記事では、実習指導の標準化を試みた話について書きました。資質の確認リストや、目標設定を学生自身にさせる取り組み。共通の仕組みとして、ある程度の成果はあったように思います。

    ただ、それはあくまで「どの学生にも共通する基盤」の部分でした。

    今回書きたいのは、その先の話です。理学療法そのものの指導内容を、学生によってどう調整するか。これは長く、ずっと抱えてきたジレンマでもあります。


    昨今の実習指導の傾向

    最近の臨床実習は、どうしても標準的な指導にとどまる傾向があるように感じています。

    これは決して悪いことではありません。カリキュラム上必要なレベルは満たしているし、学生にとっても過度な負担を避けられる。指導者間でばらつきが出にくいというメリットもある。

    ただ、学生によっては「もったいない」と感じる場面があります。

    もっと吸収できそうなのに、標準的な範囲で終わってしまう学生。逆に、まだそこまで到達していないのに、踏み込んだ内容を求められて疲弊してしまう学生。

    理想を言えば、指導者側がうまく見極めて、学生ごとに調整できればいい。でも、現状ではそれがなかなか難しい。

    これは整形外来という現場に限った話ではないと思います。ただ、当院のような特化型のクリニックでは、その難しさが特に顕著に出ます。


    整形外来という領域の特殊性

    当院は整形外来を中心としたクリニックです。理学療法士としては整形外来という分野は良くも悪くも、特定の領域に特化した分野だと思います。

    理学療法士として必要な知識や技術には、どの領域でも共通する部分はあります。ただ、急性期や回復期、在宅、外来など、病期や領域によって優先されるべきものや、重視される視点が異なると思っています。当院は、その中の一つに特化しているということです。

    実習という観点で見ると、当院は実習指定校から多くの学生を受け入れていて、指導にも手をかけています。一方で、新卒の多くは病院に就職するという現実もある。当院での学びが、就職後すぐに最も使われる知識とは限らない学生も多いのです。

    ここに、ずっと抱えてきたジレンマがあります。


    熱量のミスマッチ

    ジレンマの核心は、指導者と学生の「熱量のミスマッチ」です。

    整形外来分野に興味があり、学習意欲も高い学生に対して、指導者側が標準的な指導にとどまってしまうのは、もったいない。整形外来分野で長くやってきた理学療法士として、もっと伝えられることがあるのにという気持ちが残ります。

    逆に、指導者側の熱量が高くて、学生の熱量がそこに追いついていないとき。これも問題です。学生にとっては「カリキュラム上の実習」として臨んでいるのに、指導者側が踏み込みすぎると、押し付けになります。実習としてマイナスの影響のほうが大きくなることもある。

    両方向のミスマッチが、ずっと続いてきました。


    「まず病院から」という業界の固定観念

    もう一つ、背景として触れておきたいのは、業界の固定観念です。

    理学療法士の業界には、「まず病院から」という風潮があるように感じます。新卒はとりあえず病院に就職して、幅広く経験を積むべきだ、という考え方です。

    それ自体が間違っているとは思いません。実際、多くの新卒がそのキャリアパスを選んでいるし、それで成長していく人も多い。

    ただ、整形外来分野に興味があるけれど、「自分の選択は普通じゃないかもしれない」と尻込みする学生もいます。実習を通じて、整形外来という選択肢があることを知ってもらえれば、と思うこともあります。

    選択肢を提示する。それだけでも、実習に意味があるのかもしれない。そう考えるようになりました。


    オリエンテーションでのヒアリング

    そこで、実習の最初のオリエンテーションで、学生から情報を聞くようにしました。

    これまでの実習先(どの病期だったか)、次の実習先、自分の興味、就職先の希望。これを聞いた上で、その学生にどんな実習にできるかを考えます。

    同時に、学生に対しても、こちらの考え方を明示しています。

    伝えていることは、おおむね次の通りです。

    • カリキュラム上必要な内容は、すべての学生に同じだけ提供する
    • それを満たしている限り、評価が下がることはない
    • ただ、当院は整形外来に特化しているので、それ以上に深められる内容もある
    • ただし、それは「絶対的に優れた知識」ではなく、「整形外来という領域での優先度が高い内容」だということ
    • 急性期には急性期の、回復期には回復期の、それぞれの優先順位がある
    • ここを深めることが、必ずしも理学療法士として有益とは限らない

    このあたりを、最初に伝えるようにしています。


    その上での方向性の調整

    この前提を共有した上で、学生のニーズと姿勢に応じて、指導の方向性を調整しています。

    整形外来分野に興味があり、熱量も高い学生には、整形に特化したチェックリストを用意して、より深い内容まで指導します。学生自身が踏み込んできた領域には、こちらも応えるようにしています。

    入院系志望の学生には、整形外来でも経験できる範囲で、より網羅的な内容を意識します。

    ここで気をつけているのは、「質を変えない」ということです。

    指導にかける時間や、こちらの真剣度は、どの学生に対しても変えていません。学生選別をしているわけではない。「マスト」の部分は、すべての学生に同じだけ提供しています。

    変えているのは、その先の方向性だけです。


    残る課題

    ただ、この運用にも課題が残っています。

    「マスト」と「プラスα」の線引きが、まだ感覚に依存している部分が大きいのです。

    カリキュラム上のマストは、ある程度明文化できています。ただ、その先のプラスαを、どの学生に、どこまで、どのタイミングで提示するか。これを判断する基準が、まだ仕組み化できていません。

    学生の熱量を見極めるのも、結局は指導者の感覚です。実習の途中で学生の興味が変わることもあるし、最初は控えめだった学生が後半に伸びてくることもある。さらに、整形外来のクリニックに来ていて、学生の側から「整形にはあまり興味がありません」とは言いにくい部分もあるはずです。そういった事情も考慮しながら、結局は指導者の判断に委ねられているのが現状です。

    カリキュラムとしての実習という体裁は崩したくない。でも、その範囲内で、どこまで実りあるものに昇華できるか。これを「感覚」ではなく「仕組み」で実現できないものか。

    ここはまだ、模索の途中です。


    完成形ではなく、模索の途中

    ここまで書いてきた取り組みは、完成した仕組みではありません。

    整形外来という特化した領域で、限られた実習期間の中で、学生にとって意味のある時間にしたい。指導者として伝えたいこともある。でも、押し付けにはしたくない。学生の進路や興味も尊重したい。

    そのバランスを、いまも模索しています。

    同じような特化型の現場で実習を受け入れている方は、どう調整されているのでしょうか。マストとプラスαの線引きを仕組み化している事例があれば、ぜひ教えていただきたいです。

  • 実習指導の標準化を試みた話。うまくいったこと、いかなかったこと

    前回の記事では、実習指導における葛藤と、考え方が少しずつ変わっていった過程について書きました。

    今回は、意識が変わった段階で、次に必要だった「具体的な仕組み」について書いてみます。

    うまくいっていない点はある程度感じていました。ただ、具体的にどうすれば良いのかはわかっていませんでした。ひとまず、自分が担当する学生の時に、良いと思うものをいろいろと試してみよう。そう思って、いくつかの取り組みを始めました。


    「資質」という躓き

    実習をしていると、いろいろな学生がいます。知識があるかどうか、できるかどうかとは別に、スタッフ間で好感を得られる学生もいれば、そうでもない学生もいる。

    実習を良い雰囲気で進めるためには、スタッフ側の意識も課題です。ただ、それを変えるのも一筋縄ではいかない。一方で、学生側にも修正すべき点があるなら、それは修正すべきものとして教える必要がある。「自分で気づいて努力しなさい」ではなく、システムとして教育することが必要だと考えました。

    養成校の評価表にも「理学療法士としての資質」といった項目があります。コミュニケーション能力が理学療法士にとって重要なのは確かです。

    ただ、実習という環境は特殊です。指導する側とされる側、評価する側とされる側。すでに完成されている環境に、たった一人で飛び込む。数週間から数ヶ月という短い期間の、その場限りの関係性。

    そんな中で、本当にその人の資質が測れるのでしょうか。

    たとえば、気を遣って思慮深く、良かれと思って邪魔にならないようにおとなしくしている学生がいます。一方で、空気は読まずに思ったことをすぐに言葉にする学生もいます。「積極的なコミュニケーション」という観点では、後者の方が評価されるかもしれません。

    でも、実際に働き始めて時間が経ち、関係が構築されると、その評価が逆転することもあります。

    実習という特殊な環境下では、本来の自分の持っている能力を発揮できない学生が多いように感じました。また、社会人としての経験も少なく、「できない」のではなく「知らないだけ」であることも多い。

    それを何とかできないか。そう考えて、資質という曖昧な評価項目を、具体的な行動レベルに分解し、ステップアップ方式でチェックリストを作成しました。


    目標設定を学生自身にさせる

    もう一つ試みたのは、学生自身に目標設定をさせることでした。

    近年の実習形態は、どうしても受動的になりがちです。見学から共同参加、実施という流れの中で、「言われたことをやる」という姿勢になりやすい。

    そこで、実習自体の目標を自分で立ててもらうようにしました。

    目標は、理学療法と同様に長期目標から短期目標へと落とし込む形にし、長期目標の達成のために短期目標を3〜4ステップで設定する。達成できたか・できなかったかを判定できるようにする。達成するための具体的な行動も記載する。

    これを、社会面と勉強面のそれぞれで取り組んでもらいました。

    自分で目標を立てることで、実習が「やらされるもの」から「自分で取り組むもの」に少しでも変わればいい。そう考えていました。

    また、実習のためだけでなく、将来的に自分自身のキャリアデザインをセルフマネジメントできるようになるためのきっかけになればという思いもありました。


    うまくいった点

    これらの取り組みには、一定の効果がありました。

    チェックリストを用いることで、他のスタッフに進捗状況を伝えやすくなり、「今この段階まで進んでいる」「次はここを目指している」ということが、指導者間で共有しやすくなった。

    学生側にとっても、次に何を目指せばよいのかがわかりやすくなりました。「どうすれば良いのかわからない」という戸惑いが減ったように思います。

    目標設定についても、自分で考えることで、実習に対する主体性が少し生まれたように感じました。


    うまくいかなかった点

    一方で、課題も見えてきました。

    チェックリストは学生と共有し、週1回一緒にチェックする形で運用していました。

    ただ、学生によっては「リストに載っていることだけやればいい」という思考になってしまうケースがありました。チェックをこなすことが目的になり、本来の意味が薄れてしまう。

    また、チェックをつける「合格レベル」の判断が、学生によって違うという問題もありました。こちらがチェックしてもいいと思うレベルでも、慎重でチェックをつけない学生もいる。逆に、まだチェックはつけられないだろうというレベルでも、できたと判断してしまう学生もいる。

    どこまで何をすればよいかという基準が曖昧で、結局はメタ認知能力に依存してしまうと感じました。本人は挨拶をしているつもりでも、周りからは足りないと言われる。質問しているつもりでも、周りから見ると少ない。そういった、自分を客観視できないことへのギャップを、指導者とのフィードバックですり合わせていく手段としては機能した部分もあります。ただ、その「すり合わせ」自体が、結局は指導者側の主観に頼ってしまう側面もありました。

    さらに、チェックリストはどうしても一般化されたものになるため、個別性に対応しきれない場面も生じました。どこまでリストの通りに進めて、どこから個別性を出して対応するか。その線引きが、結局は感覚に頼ってしまう部分が出てきたのです。リストの内容自体が、まだ不十分だったのかもしれません。

    資質の確認リストに関しては、さらに別の課題もありました。人によっての「当たり前」に個人差があるということです。

    指導者側が「当然できているだろう」と思っていることと、学生の認識にズレがあるケースがありました。どちらが正しいという話ではなく、その「当たり前」の基準が人によって違うということです。

    それを反映してあまりにマイクロに項目を増やすと、今度は学生の心理面にマイナスになるのではないかという懸念もある。どこまで細かくするか、その塩梅が難しいと感じました。


    完成ではなく、途中経過

    ここまで書いてきた取り組みは、完成した仕組みではありません。

    うまくいった部分もあれば、うまくいかなかった部分もある。仕組みを作ることで解決できる部分と、仕組みだけでは対応できない部分があった。

    次回は、理学療法場面での課題や、さらにブラッシュアップしていった内容について書いていこうと思います。

    皆さんは、実習指導や後輩指導で、仕組み化を試みた経験はありますか?うまくいったこと、いかなかったこと、よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • 実習指導での葛藤。より良い実習のためにはどうすれば良いか

    前回の記事では、採用の壁に直面し、実習生の受け入れに注力していった経緯について書きました。

    今回は、実習指導の中で感じていた葛藤と、その中で少しずつ考え方が変わっていった過程について書いてみたいと思います。


    外来リハビリという環境の特殊性

    当院は整形外科クリニックです。入院施設はなく、外来リハビリのみを行っています。

    この環境には、実習という観点で見ると、いくつかの制約があります。

    まず、患者さんは毎日来るわけではありません。週に1回、2回という方も多く、入院のように毎日同じ患者さんを担当することが難しい。

    また、外来の患者さんは、わざわざ時間を作り、お金を払って来院されています。入院患者さんとは少し違う感覚があります。セラピストのリハビリを受けるために来ているのに、学生が関わる時間が長くなることへの配慮も必要です。

    そうなると、セラピストがつきっきりで学生のやっていることを見ているということも難しくなります。学生が関わる分、セラピストの時間を減らすわけにもいかない。

    そんな環境の中で、どうすれば充実した実習にできるのか。ずっと悩んでいました。


    業界の変化と、自分の中での葛藤

    近年、理学療法士の養成カリキュラムが変わり、実習の制度も変化してきました。

    以前は一人の患者さんをケースとして持ち、評価から治療まで一貫して経験していく形が主流でした。現在は、見学から共同参加、実施という段階を踏み、流れを経験することが中心になっています。どちらが良いという話ではなく、求められる到達目標や学び方が変わってきたということです。

    この変化自体を否定するつもりはありません。以前の実習が良くて、今が悪いという単純な話ではないと思っています。

    ただ、現場での解釈の仕方には疑問を感じることもありました。

    「とりあえず、考えさせないで、全部教えればいい」

    自分の解釈が正しいかはわかりませんが、現場ではそんな風潮が広がっているように感じることがあります。

    また、気を遣わなければならないことが増え、より高いレベルを学生に求めにくくなっているのも事実です。学生の顔色を伺い、良い印象を持ってもらおうと思えば、それもできなくはない。でも、果たしてそれが本当に良い実習なのか。

    そんな葛藤がありました。


    学生側に依存していた自分への気づき

    実習がうまくいかないとき、以前の自分は無意識に原因を学生側に求めていました。

    やる気があるか、ないか。知識があるか、ないか。コミュニケーションがとれるか、とれないか。

    熱意があっても不器用でうまく表現できない学生もいます。悪気はないけれど空気が読めず、人間関係がうまくいかない学生もいます。育ってきた環境や常識が、自分とは異なる学生もいます。

    そういった様々な要因で噛み合わず、良い実習にならないケースがある。それは事実です。

    でも、ある時から考え方が変わり始めました。

    この頃から、教育や学習論について少しずつ学び始めていました。ただ、まだ体系的に理解できていたわけではなく、試しながら考えを整理していった、という段階でした。

    その中で、どうすれば学生のポテンシャルを引き出せるか。どうすれば興味を持ってもらえるか。そう考えるようになりました。

    学生の能力に依存するのではなく、指導者側の誘導の仕方を考えなければならないのではないか。

    そのために、学生側の心理や、近年の若者の傾向、環境や常識の違いといった観点を意識するようになりました。

    スタッフ教育でも、学生指導でも、結局は同じことでした。うまくいかない原因を相手に求めるのではなく、環境や仕組みの問題として捉え直す。その視点を持てるかどうかが、指導する側の課題なのだと思います。


    「外来分野で実習を受けることは学生にとって良いのか」という葛藤

    もう一つ、ずっと抱えていた葛藤があります。

    整形外科クリニックという分野は、理学療法士としては王道ではありません。急性期病院のようにリスク管理や動作介助、チーム医療を幅広く経験できる環境ではない。一つの分野に特化しているからこそ、学べることは偏っています。

    そんな環境で実習を受けることは、学生にとって本当に良いことなのだろうか。

    一方で、当院のスタッフは皆、プロ意識が強い。学生には少しでも患者さんのためにできるようになってほしいという思いを持っている人が多い。

    その思いと、環境の制約と、業界の変化。それらの折り合いをどうつけるか。

    理想だけを追い求めても、現実的に達成できなければ意味がない。では、現実的に達成できる範囲で、何を大事にすべきなのか。

    そう考えるようになりました。


    外来リハの限界と、伝えたいことの折り合い

    試行錯誤の中で、少しずつ考えが整理されていきました。

    技術や知識を教えることは大事です。学校で学んできたことを臨床の場でどう生かすか、それを経験してもらいたいという思いは今もあります。

    でも、それ以上に大事なことがあるのではないか。

    患者さんと向き合う姿勢。患者さんを診るためには、もっともっと勉強しなければいけないという気づき。考え続けなければいけないということ。

    そして、今学校でやっている勉強が大切であり、実習が終わって学校に戻ってから、より一層勉学に励んでほしいということ。

    当時の自分には、この辺りが限界でした。外来リハという環境の制約と、学生に伝えたいことの折り合いをつけたラインが、ここだったのです。

    もちろん、これで完成ではありませんでした。ここから少しずつ、試行錯誤しながらブラッシュアップしていくことになります。


    次回

    次回は、この考え方をもとに、どんな取り組みを試していったのかについて書いていこうと思います。うまくいった点もあれば、うまくいかなかった点もありました。仕組みとして完成したわけではなく、まずはこの意識を持って試行錯誤を続けていった、という段階の話です。


    皆さんは、実習指導や後輩指導で、理想と現実の折り合いに悩んだ経験はありますか?よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • マネジメントを学んでよかったこと——理学療法士としての遠回りに気づいた話


    このブログでは現在、管理職になってからの試行錯誤を連載として書いています。この記事では、その過程で学んできたことを少し先取りして共有したいと思います。


    「マネジメント」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

    管理職のためのもの。経営の話。自分には関係ない。

    正直、私もそう思っていました。

    理学療法士として現場に立ち、患者さんと向き合うことが自分の仕事であり、マネジメントなんて別世界の話だと。

    しかし今は、もっと早く学んでおけばよかったと思っています。


    うまくいかなかった時代

    管理職になる前から、後輩指導や学生指導には関わっていました。

    当時の自分には、理想がありました。信念がありました。「理学療法士とはこうあるべきだ」という、自分の中での常識がありました。

    そして、それを無意識のうちに他者にも求めていました。

    理学療法士として患者さんに接するのだから、自分の時間やお金を使ってでも学ぶのは当然だと思っていました。それは後輩に対しても同じで、そうした方が絶対に本人のためになると信じていました。

    でも、思うようにはいきませんでした。

    うまくいかないと、相手の能力ややる気のせいにしてしまっていました。「なぜわからないのか」「なぜやらないのか」と。

    今思えば、それは指導ではなく、ただの押し付けでした。


    疲弊と諦念

    そのうち、熱意を持って指導することに疲れていきました。

    リハ科のために、後輩のために、と思って関わっていたはずなのに、いつの間にか「まあ、しょうがないか」という諦めに変わっていました。

    相手に期待することをやめる。そうすれば、自分が傷つかなくて済む。

    そんな防衛的な気持ちが、どこかにあったと思います。

    でも、心の奥には葛藤がくすぶり続けていました。本当にこれでいいのか、と。


    学び始めてからの気づき

    管理者という立場になり、今までのやり方ではだめだと漠然と感じるようになってから、必要に迫られて情報を集めるようになりました。マネジメントを学ぼうと思って始めたわけではありません。ただ、試行錯誤する中で、自然とそういった知識が入ってくるようになりました。

    そこで気づいたのは、意外なことでした。

    自分のやり方が間違っていた部分もあった。でも、それは能力や人格の問題ではなかった。

    価値観や環境の違いを理解していなかった。明確なシステムがなかった。心理的な要因や、学習の仕組みについて知らなかった。

    知識や視点が足りなかっただけだった。そう気づいたとき、少し気持ちが楽になりました。

    当時の自分には、その視点がまったくありませんでした。

    「あのときの自分は、ここがだめだったのか」

    理論を学ぶことで、過去の失敗に対する「答え合わせ」ができました。感覚でやっていたことに、ようやく言葉がついた感覚でした。


    理学療法とマネジメントは同じ構造だった

    学んでいくうちに、もう一つ気づいたことがあります。

    マネジメントの思考過程は、理学療法の思考過程と本質的には同じ構造を持っているということです。

    理学療法では、「評価→問題点抽出→アプローチ→再評価」という流れで患者さんに関わります。

    マネジメントも同じです。現状を把握し、問題点を特定し、環境やシステムを調整し、結果を振り返る。

    対象が「患者さんの身体」から「組織」や「人」に変わるだけで、本質的な構造は同じでした。

    そう考えると、理学療法士はすでにマネジメントの基礎スキルを持っているのではないか。そんなふうに思うようになりました。


    基礎知識がないまま指導してきた

    理学療法を行う上では解剖学や生理学、運動学といった基礎知識が必要です。それと同じように、マネジメントにもマネジメントのための基礎知識が必要です。

    考えてみれば当然のことでした。

    でも、私たち理学療法士は、その基礎知識がないまま、学生指導や後輩指導を行ってきたのではないでしょうか。

    自分がそうだったように、経験則と熱意だけで指導し、うまくいかなければ相手のせいにしてしまう。そんなことを繰り返してきたのではないか。

    私自身、随分と遠回りをしたと感じています。


    自分自身の学習にも使える

    マネジメントを学んでよかったと思うのは、組織運営や後輩指導だけではありません。

    自分自身の学習をどう進めるか、という視点でも役に立ちました。

    私はこれまで、がむしゃらに勉強してきました。プライベートの多くの時間やお金を犠牲にして、ひたすら知識や技術を追い求めてきました。

    それ自体を後悔しているわけではありません。でも、マネジメントや学習論を学んでから気づいたのは、自分がいかに非効率だったか、ということでした。

    長い時間をかけて経験的に感じ、構築してきたことが、理論としてすでに言語化されていた。それを知っていれば、もっと効率よく学べたかもしれない。

    職場に学習の仕組みが整っていなければ、自分で自分の学習をマネジメントする必要があります。そういう意味でも、マネジメントの考え方は、管理職でなくても役に立つと感じています。


    管理者だけのものではない

    マネジメントは、「人を管理する技術」ではありません。

    「目標を達成するために、環境を整える考え方」です。

    後輩指導に悩んでいる人。学生指導でうまくいかないと感じている人。自分自身のキャリアや学習の方向性に迷っている人。

    そういう人にとっても、マネジメントを学ぶことは、何かのヒントになるかもしれません。

    少なくとも、私にとってはそうでした。

    このブログでは、私自身がマネジメントを学びながら、現場で試行錯誤してきたことを書いています。答えが出ている話ではありませんが、同じように悩んでいる誰かの参考になれば嬉しいです。


    皆さんは、後輩指導や学生指導で悩んだ経験はありますか?よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • 「まずは病院」という常識の中で、クリニックが新卒を採用するために考えたこと

    前回の記事では、経営陣との交渉を経て、増員に向けて動き出す許可を得たことを書きました。

    しかし、許可が出たからといって、すぐに人が来るわけではありませんでした。

    当院は地域密着型の整形外科クリニックです。大きな病院のような知名度はなく、既卒者の中での認知度も高くありません。

    正直なところ、給与を高めに設定すれば、人が来ないこともないとは思います。整形外科クリニックは全体的に給与水準が高めに設定されている傾向があり、条件面で勝負することは不可能ではありません。

    ただ、私自身は「誰でもいいから人が欲しい」というわけではありませんでした。リハビリの質を向上させたい、学んでいく環境を整えたい、努力が評価される職場にしたい。そういう思いがありました。

    それに、下手に給与を上げて採用することへの抵抗もありました。

    中途で入ってくる人が悪いとか良いとかではありません。ただ、人手が欲しいという理由だけで高い給与を提示するのは、今まで長く頑張ってきたスタッフへの不義理になるのではないか。そんな思いがありました。

    当院での働きをもって正当に評価されて給与が上がるならいい。でも、ただ採用のためだけに条件を上げるのは、私が好まない業界全体の風潮と同じ構造です。長く働いている人が報われにくい。それは、自分が変えたいと思っていたことそのものでした。

    この問題にどう向き合っていくかは、また別の機会に書きたいと思います。

    では、中途採用が難しいなら、新卒を採用できないか。そう考えました。

    しかし、ここにも壁がありました。


    理学療法士業界の「まずは病院」という常識

    理学療法士の世界には、「まずは病院で経験を積むべき」という暗黙の常識があります。

    学生時代、教員からも「最初は病院で幅広く経験を積んだ方がいい」と言われます。実習先でも、就職相談をした先輩からも、だいたい同じことを言われる。実際、理学療法士全体の約8割が病院勤務であり、クリニック勤務は1割程度です。

    周囲のほとんどが病院出身者であれば、「まずは病院」というアドバイスが出るのは当然のことです。自分たちがそうだったから、そう言う。悪意があるわけではなく、むしろ善意からのアドバイスです。

    ただ、結果として、学生にとっては「まずは病院」が常識になり、王道になっている。新卒でクリニックを選ぶという選択肢は、そもそも視野に入りにくい構造になっています。

    誤解のないように言っておくと、病院で学ぶことの価値を否定するつもりはありません。急性期病院でリスク管理や動作介助、チーム医療を経験することは、理学療法士にとって重要な要素だとも思っています。クリニックでは、それらに触れる機会が少ないのも事実です。

    病院とクリニック、どちらが優れていてどちらが劣っているという話ではありません。優先されるスキルや知識が違うだけです。

    ただ、口には出さなくても、どこかにヒエラルキーのようなものがあるように感じることはあります。学生がクリニックを第一志望にすると、「本当にそれでいいの?」と心配されたり、周囲から遠回しに再考を促されたりすることもある。

    そういう環境の中で、新卒がクリニックを選ぶというのは、いくつもの心理的ハードルを越え、周囲のアドバイスを押し切る必要がある、大きな決断なのです。


    残された選択肢

    中途採用は難しい。新卒は業界の常識の壁がある。

    その中で、当院に残されていた現実的な選択肢は、実習生からの採用でした。

    当時から、実習生の受け入れは行っていました。そして、実習をきっかけに当院への就職を決めてくれるスタッフも、一定数いました。

    戦略的にそうしていたわけではありません。正直に言えば、それしか方法がなかったのです。

    知名度のないクリニックが、業界の常識を越えて新卒を採用するには、まず「知ってもらう」ことが必要でした。実習という機会は、当院の雰囲気や考え方を直接伝えられる、数少ない接点だったのです。


    当時の実習指導の実態

    当時の実習指導に明確な方法論があったかと言えば、そうではありませんでした。

    当時は当時で、一生懸命にやっていました。学生のためを思い、時間を割いていました。手を抜いていたわけではありません。

    しかし、良い指導のノウハウがあったわけではなく、個人の熱意や能力に依存したものでした。どうしても昔ながらの指導になりがちで、「自分たちが受けてきた指導」を無意識に踏襲してしまっていた部分もあったと思います。

    これは、以前の記事で書いたスタッフ教育の問題と同じ構造です。個人の善意や熱意に頼った指導は、うちだけでなく、業界全体に根強く残っているものではないかと感じています。

    業界の常識を越えて、当院を選んでもらうには、今まで通りではだめだ。そう思いました。


    ここから試行錯誤が始まった

    実習生の受け入れを「採用のための手段」としてだけでなく、「教育の質を上げる機会」として捉え直していこうと思いました。

    採用につなげるためには、実習の質を上げる必要がある。実習の質を上げるためには、指導の方法論を学ぶ必要がある。

    まずは、実習指導や教育について体系的に学び直すことから始めました。

    結果として、この取り組みは、採用だけでなく、リハ科全体の教育体制を見直すきっかけにもなっていきました。

    次回以降、実習指導の中でどんな試行錯誤をしてきたのかについて、書いていこうと思います。


    皆さんの職場では、採用や実習指導について、どのような工夫や悩みがありますか?よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • データ処理のためにExcelと格闘した話と、経営陣への交渉

    前回の記事では、リストを作っただけの「仕組み化」が空回りし、本当の意味での環境設計の必要性に気づいたことを書きました。

    「自分の頭の中にある暗黙知を言語化し、きちんとした教育の仕組みを作ろう」。そう決意した私でしたが、すぐにプレイングマネージャーならではの壁にぶつかります。

    時間がない。

    当時の私は、他のスタッフと同様に朝から晩まで患者さんのリハビリに入る、いちプレイヤーでした。腰を据えてマニュアルを作ったり、マネジメントを深く考えたりする時間を確保するのは、現実的にかなり厳しい状況でした。

    そして、私がマネジメントに割く時間を生み出すには、現場の負担を分散させる新しいスタッフを採用するしかない。そう結論づけました。


    経営陣との「認識のギャップ」

    しかし、経営陣に相談しても、返ってくるのは「う〜ん、まあ増やせたらいいけどねぇ」という、なんとも消極的な反応でした。

    誤解のないように言っておきますが、当院の院長や理事長は医療に対して真摯に向き合っており、決して損得だけで物事を判断しているわけではありません。ただ単に、「将来的にどんなリハ科を作っていくか」というビジョンが、まだ共有されていなかっただけです。

    私自身も、明確なビジョンが先にあったわけではありません。現場は回っている。でも、もっと良くできるはずだ。その思いが先行していました。

    そんな状況に対して、「もっと良くしたいんです!」という熱意だけをぶつけても、響くはずがない。それはわかっていました。

    また、成果も出していないのに報酬を先に要求するのは、どうにも私の性分的に好きではありませんでした。


    「どうすれば通るか」を考え始めた

    では、どうすれば要望が通るか。

    感情でも、未来の約束でもない、何か具体的なものを持って話しに行かないと、また同じになる。そう思い、とりあえず数字を出してみようと考えました。

    リハ科が現状でどれだけの価値を生み出し、同時にどんな機会損失を出しているのか。それを数字として整理することにしました。

    一般的な単位数だけを出しても、経営的な説得力には欠けます。私が目をつけたのは、以下のような「隠れた実績と課題」でした。

    リハビリ来院に伴う再診料の推移。計画書算定数。スタッフの残業時間と稼働率のバランス。

    そして、もう一つの交渉材料が、以前スタッフに提示して空回りしたあの数字でした。


    視点を変えた「キャンセル率」の使い方

    以前の記事で、キャンセル率をスタッフに提示してプレッシャーをかけ、うまくいかなかった話を書きました。提示したこと自体が間違っていたとは今でも思っていません。ただ、この数字には別の使い道があった。

    当時の当院のドロップアウト率やキャンセル率は、決して低い数字ではありませんでした。私はこの事実を隠すのではなく、「ここを改善させられれば、もっと良くなる」という伸びしろとして、経営陣に提示しました。

    「ドロップアウト率を下げる教育の仕組みを作りたい。でも今の私にはその時間がない。人を増やしてマネジメントの時間を確保させてくれれば、この穴が塞がり、再診料も含めてこれだけの利益が上がります」


    慣れないExcelとの格闘

    このロジックを証明するために、私は慣れないExcelを開きました。

    どうすれば自動でドロップアウト率が計算できるか。「何人リハビリをしたか」がパッと見てわかる表をどう作るか。

    そもそも、誰かに頼むという発想自体がなかった。理学療法士という仕事柄、PCや表計算ソフトに慣れているわけではない。Excelの数式も、お世辞にも使いこなせているとは言えなかった。

    それでも、「こういうものが作れたら現場が見えやすくなる」というイメージだけはあった。そのイメージに向かって、ネットで調べ、試し、失敗し、また調べる。診療が終わった夜、その繰り返しでした。

    数式が思い通りに動いた瞬間、達成感があった。畑違いの分野で、調べながら何かを自分の力で作れた、という感覚に近いものだったと思います。

    思えば、この「患者管理のエクセルシート」こそが、私が現場に生み出した本質的な意味での最初の仕組み化でした。感覚ではなく、客観的な事実で現場を評価する土台が、皮肉にも経営陣への交渉準備という、わりと泥臭い動機から生まれました。


    交渉の結果

    この数字をもとに経営陣との交渉に臨み、結果として積極的に人数を増やす方向に向けて動き出す許可を得ることができました。

    このデータが効いたのか、それとも熱意が伝わったのか、実際のところはよくわかりませんが、結果として自分の望んだほうに進んでくれました。


    次の壁

    ホッとしたのも束の間、すぐに次の問いが立ちはだかりました。

    「人を増やす許可は出た。でも、どうやって当院の魅力を外部に伝え、人を集めればいいんだ?」

    次回は、スタッフの人数を増やすために直面した「理学療法士業界の常識」と、実習生や外部に向けて「当院の魅力」をどう作っていったのかについて書いてみたいと思います。

    皆さんは、上司や経営陣を説得するために、どんな工夫をした経験がありますか? よければコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • 最初の「仕組み化」で直面した理想と現実のギャップ

    前回の記事では、個人の意欲に頼るのをやめ、真の意味で仕組み化(環境設計)へと舵を切らなければならないと悟った日のことを書きました。

    今回は、その決意の直後に打った「最初の一手」と、そこから得た気づきについて書いてみたいと思います。


    最初の「仕組み化」

    「まずは、現場が動きやすい仕組みを作ってみよう」

    そう考えた私は、いくつかのツールを現場に投入しました。

    • 気まずい空き時間をなくすための「リハ科ToDoリスト」
    • 若手が迷わず学べるようにするための「学習チェックリスト」
    • 現場の不満や改善点を拾い上げるための「ご意見投書箱」

    これらを導入した時、私は「これで何かが変わってくれるかもしれない」と期待していました。

    やるべきことが可視化されれば、スタッフは自発的に動きやすくなるだろう。
    そんなふうに考えていたのです。

    しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。

    これらのツールは、見事に空回りしたのです。


    ToDoリストが生んだ不公平感

    月間のToDoリストのタスクは、結局いつも特定の頑張るスタッフだけが消化し、不公平感を生みました。

    空き時間にやるはずのToDoは、「具体的なやり方がわからない」と放置され、結局私が説明に回らなければ進みませんでした。

    ご意見箱には、1枚の紙も入ることはありませんでした。

    責任者になったばかりの頃の私なら、「なぜやってくれないんだ」と裏切られたような気持ちになり、絶望していたかもしれません。

    しかし、この時期の私は少し違いました。

    不公平な負担を背負わせてしまった頑張るスタッフに対しては「本当に申し訳ない」と痛感しつつ、意図通りに動けないスタッフに対しては「まあ、しょうがないよね」という諦め半分のドライな気持ちもありました。

    今までうまくいかない原因を「外(スタッフ)」に求めていた状態から、徐々に「自分」に見出すようになり、自分と他者とのギャップをすり合わせようとしていた過渡期だったのだと思います。


    「伝わっているつもり」という錯覚

    「自分ならこのリストを見ればパッと動ける。でも、ああ、これだけの情報じゃうまく伝わらないのね」

    前提知識の量も、制度への理解度も全く違うのに、ただリストを投げただけで動けるはずがなかったのです。

    そして、この「他者とのギャップ」を最も痛感したのが、「学習チェックリスト」でした。


    チェックリストは埋まるのに、理解は深まらない

    当時の私は、「〇〇について調べる」「〇〇ができる」という項目をリスト化して渡せば、若手は学んでいくと思っていました。

    実際、彼らはリストに次々と「チェック(レ点)」をつけていきました。

    しかし、チェックがついているのを見て知識の確認をしてみると、違和感を覚えました。

    答えが、たどたどしいのです。

    こちらの意図している到達点には全く達しておらず、ディスカッションをしていても知識が表面的で、ネットの情報を一つ丸写ししたような状態でした。

    そこから「もう少し深い知識を探してみよう」と促しても、彼らはポカンとしています。

    そもそも、「自分が何を理解できていないのか」がわかっていない感じだったのです。


    「知識」ではなく「メタ認知」の問題だった

    その時、ハッとしました。

    「あぁ、これは知識の問題じゃない。
    メタ認知の問題か!

    私自身が若手の頃は、わからないことがあれば泥臭く手当たり次第に調べ、何冊もの専門書を読み比べて知識を繋ぎ合わせてきました。

    しかし今は、検索すれば数秒で「答え」が手に入る時代です。

    「調べる」という行為自体が変容している現代において、ただ「項目」を羅列したリストなど、何の意味も持ちませんでした。

    「今の時代なら、そりゃそうなるか。これじゃダメだ、もっと詳しいロードマップを敷かなきゃな」

    私は冷静にそう分析しました。

    悪いのは彼らではありません。

    真の意味で優れた治療者の実力は、泥臭い経験から得た「暗黙知」にあるのかもしれません。

    しかし、それをそのまま初学者に求めるのは、あまりにもハードルが高すぎました。


    「仕組み」として必要だったもの

    私が本当に用意すべきだったのは、リストではありません。

    • なぜその業務・学習が必要なのかという「理由(Why)」
    • それを誰でも迷わず進められる「マニュアル(How)」
    • それに沿って進めれば自然と体系的な知識とメタ認知が身につく「ガイドライン(道筋)」

    ツールを作るだけでは、人は動きません。

    「制度の理由」と「具体的な方法論」がセットになって初めて、それは「仕組み」として機能する。

    やってみて、うまくいかなかったからこそ分かったギャップでした。


    プレイングマネージャーという壁

    ここから私は、自分の頭の中にある「暗黙知」を言語化し、本当の意味での環境設計(マニュアル作り等)という泥臭い作業に足を踏み入れていく……はずでした。

    しかし、ここでプレイングマネージャーとしての「最大の壁」に激突します。

    それは、

    「仕組みを作りたいが、目の前の臨床に追われて時間が全くない」

    という物理的な壁です。

    時間を作るには、スタッフを増やすしかない。

    しかし経営陣から見れば、現状でも業務は回っており「人は足りている」という認識です。

    当時の私は、自分自身のビジョンすら明確ではなく、「とにかく今のままじゃダメだ」という焦りだけで走っていました。

    当然、そんなフワッとした熱意だけをぶつけても、経営陣が人を増やしてくれるわけがありません。


    「だったら、彼らが納得する“武器”を使って、私の思い通りに動かしてやろう」

    次回は、時間と人を勝ち取るために、私が打算的に用意した
    「泥臭いデータ集め」について書いてみたいと思います。


    皆さんは、良かれと思って作った「リスト」や「ルール」が、現場でうまく機能しなかった経験はありますか?
    よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • 正論で組織は壊れる。私が気づいた「環境設計」の必要性

    前回の記事では、キャンセルに対する私個人の「ざわつき」と、当時の私がマネジメントを全く理解しておらず「スタッフの熱意」に依存していたことについて書きました。

    今回は、その熱意への依存が現場にどんな影響がでていたか。当時の失敗談を書いてみたいと思います。


    キャンセルの扱い方

    当時の私は、キャンセルという避けられない現実に対して、自分なりに「ロジック」を持っていました。 具体的には、以下の3つのステップでリハ科の成長と個人の成長ができると本気で信じていたのです。

    ① まずは現実を「数値(キャンセル率)」として客観的に捉える。

    ② 数字を見ることで「天気のせいだから仕方ない」で終わらせず、改善策をスタッフ自身に「考えてもらう」。

    ③ キャンセルで生まれた「40分の空き時間」を使って、その改善アクションを実行してもらう。

    これが回れば、スタッフ個人の成長にも繋がり、結果としてリハ科のため、病院のためになる。 「これこそが理想のリハ科運営だ!」と、当時の私は考えていました。

    しかし、今なら痛いほどわかります。 この「ぐうの音も出ない正論」こそが、スタッフを最も追い詰め、現場を息苦しくさせていた原因だったということに。


    数字が生み出した圧力

    管理者からすれば、数値を客観的に見ることは当たり前のステップです。 しかし、現場のスタッフからすればどうでしょうか。 ただでさえ「自分の腕が悪いからキャンセルされたのでは」と心をざわつかせているところに、「今月のあなたのキャンセル率は〇%です」と数字を突きつけられる。 それは、「あなたのせいで病院にこれだけ損失が出ている」という無言の圧力に他なりませんでした。

    そして、私は最も残酷な言葉をかけていました。 「空いた時間で、リハ科や病院のためにできるアクションをしてほしい」と。

    一見、スタッフの自主性を重んじているように聞こえます。 しかし実態は、マネジメントの放棄(丸投げ)でした。

    スタッフにしてみれば、どうすればキャンセルが減るかなんて、個人の内省だけで答えが出るはずがありません。 息つく暇もない日々の診療の中で、ぽっかり空いたキャンセルの時間すら、「病院のために何かを生み出せ」と強要されているように感じていたのかもしれません。


    スタッフに生じた変化

    結果として、スタッフルームには「二極化」が生じていきました。

    一方は、上昇志向を持ち、病院のため、自分のためにと時間を惜しまず頑張るスタッフ。 そしてもう一方は、そんな彼らの熱量に対して引け目を感じ、「居づらさ」を誤魔化すために忙しくないのにPCを叩くフリをするスタッフです。

    前者の「もっと頑張ろうよ」という無言の圧力が、後者をさらに萎縮させる。

    実は、私はこの「二極化」や「同調圧力」による働きづらさが生じることは、最初からある程度想定していました。 だからこそ、モチベーションの高いスタッフに対しても、「どんなスタンスの人間でも働きやすい職場を目指している」という私の理想を、言葉でしっかりと説明していたつもりだったのです。

    しかし、現実は甘くありませんでした。 医療従事者が何年もかけて培ってきた「プロ意識」や「責任感」は、管理者の言葉による説明くらいで簡単にコントロールできるものではありませんでした。 私自身が過去そうであったように、後輩たちもまた「休むこと」や「割り切ること」をうまく受容できず、苦しんでいました。

    「言葉で説明したから分かってくれるだろう」というのは、私の傲慢でした。 考慮していても、うまく対処できない。現場の同調圧力や固定概念を変えることの難しさを、私は痛感していました。


    突きつけられた欠陥

    そんな中で、私のこの「甘え」と「正論の暴力」が引き起こした、決定的な出来事があったのです。

    当時、教育の一環として、空き時間が出た若手には先輩スタッフの治療に「同行見学」をしてもらっていました。 ある日の夕方、同行された先輩スタッフは時間内に仕事を終え、定時でサクッと帰宅しました。しかし、ただ同行しただけの若手スタッフが、本来なら必要のない「見学のまとめレポート」を書くために「残業」をしていたのです。

    単位を取得して利益を生んだ先輩が定時で帰り、勉強させてもらった後輩が残業代をもらっている。 当時の私は、この光景に強い違和感と怒りを覚え、後輩を問い詰めてしまいました。

    「自己研鑽と業務を混同するのはどうなのか?」 「給料をもらうプロとしての心構えとして、それはおかしいんじゃないか?」

    私からすれば、当然の「正論」でした。 しかし、後輩から返ってきたのは、予想もしていない言葉でした。

    「……そんな視点では、考えもしませんでした」

    悪びれるわけでもなく、ただ本当にキョトンとしていました。彼にとっては「同行するように言われたから行き、そのまとめを書いていただけ」なのです。

    この瞬間、私は言葉がでないほどの衝撃を受けました。 そして同時に、猛烈に恥ずかしくなりました。

    悪いのは「プロ意識がない後輩」ではない。 「これは自己研鑽だから業務時間内(または残業)にはやらない」という明確なルールを作らず、ただ現場に放り込み、予想外の行動をとられた途端に「プロ意識」という思想の暴力で殴りつけた「私自身のマネジメントの欠陥」だったのです。


    気づかされた未熟さ

    「どんなスタンスでも働きやすい職場を」と口では言いながら、私自身が一番「プロならこう考えるべきだ」「給料をもらうならこうあるべきだ」という、古い固定概念に深く縛り付けられていました。 ルールがない世界では、見えている景色が人によって全く違う。それなのに、自分の固定概念を押し付けていたのだから、組織が回るはずがありません。

    「ちゃんと見ているよ」という甘え。 「言葉で説明すれば分かるはずだ」という思い上がり。 そして、「プロとして考えてほしい」という正論の暴力。

    本当に「個人の意欲や思想」に頼るのをやめ、真の意味で「環境設計(仕組み化)」へと舵を切らなければならない。 私が心の底からそう悟り、もがき始めたのは、この出来事がきっかけでした。


    ここから、あの「気まずい40分」という環境を、具体的にどう解体し、仕組み化していったのか。 次回は、その「最初の一歩」について整理してみたいと思います。

    皆さんは、自分の「当たり前」や「正論」で、スタッフを追い詰めてしまった経験はありますか? よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • キャンセルを、どう受け止めるか

    キャンセルは、ある意味では仕方のないものだと思っている。

    天候が悪ければ外出は難しくなる。
    感染症が流行していれば体調不良の方も増える。
    仕事や家庭の事情もある。

    サービス業とは違い、
    病院は「売上のために来てください」とは言えない。
    キャンセル料を請求するわけにもいかない。

    構造的に見れば、キャンセルが発生するのは当然だ。
    頭ではそう理解している。

    それでも。

    キャンセルが入ると、心が少しざわつく。

    空き時間ができるからでもない。
    病院の利益が下がるからでもない。
    もっと個人的な感情だ。

    「選ばれなかったのではないか」

    そんな感覚がどこかにある。

    もし自分の技術がもっと優れていたら。
    もし患者さんが「良くなっている」という実感を持てていたら。

    他の予定があっても、
    雨が降っていても、
    「それでも行きたい」と思ってもらえたのではないか。

    このリハビリの時間を、
    単なる予定のひとつではなく、
    「貴重なもの」として捉えてもらえたのではないか。

    そんなことを考えてしまう。

    同時に別の気持ちもある。

    「今日は天気が悪いから仕方ない」
    「流行期だから仕方ない」

    そうやって深く考えないようにしたくなる自分もいる。
    そうやって自分の心を守らなければならない時もあることも理解している。

    自責と、甘え。
    その境界線は、思っているよりも曖昧だ。

    キャンセルは、単なる予定の変更ではない。
    自分にとっては、理学療法士としての価値を無意識に測ってしまう出来事でもある。

    もちろん、
    キャンセルが多いことが腕の悪さを意味するわけではない。
    患者背景や疾患特性、社会的要因もある。
    それに、何より患者さんには無理をしてほしくない。安全第一で休んでいただくべき日も当然ある。

    それでも、

    「患者をよくする」
    「理学療法の質を高める」

    という自分の理想を追い続ける限り、
    この問いから目を背けることはできない。

    正直に言えば、自分はまだ満足していない。
    臨床も、
    管理も、
    運営も。

    尊敬できる治療者や先生方を見てきたからこそ、
    まだできることがあると感じている。
    キャンセルという現実も、その「伸びしろ」の一部なのかもしれない。

    キャンセルを責めたいわけではない。
    ただ、この出来事をどう受け止めるか。
    それは、一人の臨床家としての自分の姿勢の問題なのだと思う。

    ……正直に告白すれば、当時の私はまだマネジメントの「マ」の字も分かっていなかった。

    「リハビリの質の向上=個人の成長意欲や内省の深さ」だと信じて疑わず、キャンセルで空いた40分の時間すらも、「スタッフの熱意」でどうにか有意義に使ってほしいと願ってしまっていた。

    今振り返れば、それはどこか「支配」に近いものであり、管理者としての未熟さ、そして甘えだったのだと思う。
    しかし、当時はそのことに気づけず、試行錯誤と空回りを繰り返していた。

    だからこそ、次回からは少し時計の針を進めてみたい。

    この「キャンセルへの個人的なざわつき」や「熱意への依存」を抱えていた私が、いかにして失敗し、もがき、そこから「個人の問題ではなく、組織の仕組みの問題」へと視点を切り替えていったのか。

    決して綺麗な成功談ではない。

    数字やキャンセルという事実は、時に人を傷つける刃にもなる。
    けれど、もがきながら見方を変えれば、組織が変わるためのヒントにもなる。

    そのあいだで、私は何を間違え、何を学び、どう視点を変えていったのか。

    引き続き、お付き合いいただければうれしいです。


    皆さんは、キャンセルに心がざわついた経験、ありますか?
    よければコメントで教えていただけるとうれしいです。

  • 迷いながら、それでも数字で現実を直視した理由

    業務効率化によって時間をつくり、
    日報や患者管理の方法を見直しました。

    すると、これまで感覚的にしか意識していなかった情報が、
    少しずつ「数字」として集まるようになりました。

    正直に言えば——
    ここまではっきりと「現実」が見えるようになるとは思っていませんでした。

    数字は便利です。
    同時に、残酷でもあります。

    特に私の心を止めたのは、
    キャンセル数とキャンセル率でした。


    外来リハビリにおける「キャンセル」という現実

    当院の外来リハビリは予約制です。
    その日に来院される患者さんは、事前にすべて決まっています。

    理学療法士が1日に対応できる単位数には上限があり、
    キャンセルを見越して多めに予約を入れることはできません。

    入院とは違い、
    急に時間が空いたから別の患者さんを診る、ということもできない。

    つまり外来リハビリでは、

    キャンセル = そのまま時間と単位のロス

    になります。

    本来であればリハビリを行うはずだった時間に、
    突然ぽっかりと空白が生まれる。

    その空白が、
    雇用されている立場として、
    給料をいただいている立場として、
    どういう意味を持つのか。

    数字として可視化されたことで、
    その現実が、はっきりと目の前に現れました。


    数字を出すことへの葛藤

    正直、迷いはありました。

    スタッフが萎縮してしまうのではないか。
    モチベーションを下げてしまうのではないか。
    経営側に悪印象を与えてしまうのではないか。

    実際、そうしたリスクは十分に考えられました。

    院長からも、

    「まあまあ、みんな頑張っているんだから、
    そんなに心配しなくてもいいんじゃないの?」

    というニュアンスの言葉をかけられました。

    確かに、
    数値上は大きな問題があるわけではない。
    診療時間中、スタッフはみな必死にリハビリをしている。

    それは紛れもない事実です。

    数字を出すことが、
    誰かを責める材料になるのではないか。

    そんな不安もありました。


    それでも、見ないままにはできなかった

    それでも私は、
    この数字から目を背けることができませんでした。

    単位制という仕組みの中では、
    どれだけ準備し、考え、工夫していても、
    その努力が数字として表れることはほとんどありません。

    質が高くても、低くても、単位は同じ。

    これは、避けられない現実です。

    だからこそ——
    何も見えないままでいいとは思えなかった。

    数字ですべてを評価できるとは思っていません。
    むしろ、数字だけで評価してはいけないとも思っています。

    けれど、客観的な評価ができない状態では、
    話し合うこともできず、改善を試みることすらできない。

    少なくとも、
    現状を客観的な指標として認識することは必要だと感じました。

    数字は評価のためではなく、
    対話のために使うものだと、考えました。


    管理者としての正解かは、今もわからない

    この選択が、
    管理者として正しかったのかどうか。

    今でも正直わかりません。

    スタッフの働きやすさだけを考えれば、
    厳しい現実をあえて見せない、という選択もあったはずです。

    でもそのときの私は、
    管理者としてというよりも、
    一人の理学療法士として、

    「リハビリの質を高めたい」
    「高め続ける組織でありたい」

    という気持ちを捨てきれませんでした。

    だからこそ、
    あえて数字として現実を直視する道を選びました。

    それが、
    私たちリハビリテーション科が
    これから何を改善すべきなのかを考えるための
    出発点になると信じたからです。


    次回

    次回は、
    「キャンセル」という数字をどう受け止めるべきかについて書こうと思います。

    それは管理のための数字なのか、
    それとも臨床の質を考えるための数字なのか。

    管理者として、
    そして理学療法士としての葛藤を含めて、
    正直に残していきたいと思います。